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「日本側が故意に遅らした跡がある」と主張したアメリカ

 ハル・ノートをやめて新しく話し合おうと云う趣旨のものであろうか。もしそうとすれば、形式方法は適当ではない。何故にこの時期を選び、何故に今までの正規の交渉ルートを用いずして、寧ろ異例の方法によったのであろうか。即ちこれは真に両国紛争の打開を講ずるための提案か、或は日本側の心境を測るために投じた一石か。はた又単なるジェスチュアであったか。極東裁判でもこの点は終に明らかにされるところはなかった。

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 尚この親電について、「これが日本についてからグルー大使の手許にとどくまでに、半日余かかり、そのことが夜遅くグルー大使が外相を訪れた原因であり、従って又親電が最後の時期までに役に立つ様に日本側にとどかなかったゆえんである。そこには日本側に故意に遅らした跡がある」と云うことが極東裁判に於いて米国検察側から主張された。

 しかしその点はその後あまり深く真相をたしかめられずそのままに終った。私の知る範囲では故意に遅らした様なことは全くなかったことを確信する。当時日本では、米国の様に、相手国の暗号電報を盗読する才覚はなかった。従って電報の内容など解る道理はない。特定の電報を故意におくらすなどと云うことを考えているものは、私の知って居る範囲においては一人もなかった。私の知らない範囲でも誰もその様なことを考えていたものはなかったと今でも確信している。

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思い切った作戦「真珠湾攻撃」へ

 親電の一件はその夜は私は何も知らず翌8日は3時頃起きて、直ちに総理官邸に出かけて行った。まだ真夜中であったが空は晴れていた。何の音もなく静かな都大路をひとり車を走らせて行った。途中は僅か5、6分のことである。がこの途上、いよいよ今日から日本は今までにないいくさにはいって行く。相手はこれまで我国の戦ったことのないアメリカ、イギリスである。この先は果してどうなって行くのであろう。先は見えている様であるが又みつめるとない様でもある。こう考えている中に足の下の地べたがすべって行く様な、なんともいえぬうつろな寂しさを覚えたことが今にまざまざ記憶に残っている。

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 その中に車は官邸につき、そこには人と仕事とが私をまちかまえていた。秘書連から大統領の親電のことを聞いた。間もなく海軍の岡軍務局長が来て、旨く行ったと云った。私は始めはどこで旨く行ったのか解らなかった。その中に言葉のはしから、それがハワイに関係があることを知ってビックリした。思い切った作戦と今までその機密をよく保持したことには驚きもし感服もせざるを得なかった。