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連載昭和の35大事件

日本の運命を変えた太平洋戦争の裏側――東条英機内閣の書記官長が明かした「開戦前夜」

ハル・ノートの10日後にアメリカから届いた“親電”とは

2019/11/10

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際

首相であった東条ですら軍事上の機密を内閣に知らせなかった

 その時分日本の最後の文書は外務省から駐米大使館に打電されていた。電報はいくつかに分けられ、その最後の分には国交断絶の主旨が記載されている。ワシントンの大使館ではさぞや電報の翻訳や文書の準備に大童に働いていることと察せられた。

 又その時分陸海軍の軍隊は、それぞれの目的地に向って進んでいた。そして翌日は当然英米の軍隊と接触し、彼我の衝突が起こることが予想されていた。その軍隊は今いよいよ最後のストレッチにかかり、刻々に相手方に近づいていることは間違ない。が、それらの軍隊はどこに居るか、どこを目指して進んでいるのか、それらのことは私達は軍事の門外漢として一切関知するところはなかった。

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 大本営政府連絡会議にも軍事上の計画或は予定については報告説明は行われなかった。過ぎた事実の報告はあったが、将来のことにふれての話はなかった。勿論この連絡会議とは別の、陸海軍人よりなる大本営会議においては、作戦のことも報告され論議されたことは当然である。が、これは軍人以外には口外されない最高軍事機密である。

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 東条首相は云う迄もなく陸軍大臣であり、連絡会議のみならず大本営会議にも出て居た。従って陸軍は勿論海軍の作戦計画、軍隊の動きも聞き知っていたことは疑ない。然し東条首相は首相と陸相とを一身で完全に2つに使い分けていた。陸相として知った軍事上の機密を内閣に知らせる様なことはなかった。

滞りなく進む太平洋戦争に向けての準備

 只これより先、6日の事であったと思う。連絡会議の席上、シャム湾において我国の船団が所属不明の航空機に接触されたと云うことが報告された。そこで私達は、日本の軍隊が仏印をたって南方に向っていることを察知した。そしてその途上早くも相手に接触されたのでは緒戦の苦戦を察せしめるものであると思って心配させられた。が、その後別に何の報告もなく時は過ぎて行った。

 かくてこの夕べも静かに過ぎて暁となった。私達はこの一日が事なく過ぎたことでほっとした。9時頃官邸を辞して帰途についた。途中蔵相官邸に賀屋興宣大蔵大臣を訪ねた。いよいよと云う場合、モラトリアム等の措置の必要があるかも知れない。もとより万事手配はできていると思ったが、念のため様子を聞くためであった。賀屋蔵相はひとりで書見をしていた。広い大蔵大臣官邸には人影も見えない、静かな御寺の様な気分であった。十分計り話をした。滞りなく準備はできていることを聞いた。

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 更に麻布に車をまわして木戸幸一内大臣の私宅を訪れた。先日来内閣と内大臣府の間に宣戦詔書のことについて色々打合せを行っていた。それがまとまって詔書の原案が完全にでき、準備が終ったことを報告するのが目的であった。