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連載昭和の35大事件

日本の運命を変えた太平洋戦争の裏側――東条英機内閣の書記官長が明かした「開戦前夜」

ハル・ノートの10日後にアメリカから届いた“親電”とは

2019/11/10

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際

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ハワイ戦果の発表で町の中は湧きかえっていた

 かくて枢密院の下審議の終ったのは11時近く、本会議は昼に及んだ。私は内閣の仕事があるので下審査の終ったところで内閣に帰って本会議には出席しなかった。

 宮中を出て内閣に向う東京の町にはもう既に戦争の始まったことは知れ渡っていた。大本営からは太平洋に於いて我国軍隊が英米両国軍と戦を交えたことが公表され、続いてハワイ戦果の発表があり、町の中は湧きかえっていた。

太平洋戦争開戦を伝える東京日日新聞号外

 私の仕事の一つは当日行われることとなっていた、大政翼賛会の大会の処置であった。この大会は丁度この8日に行われることとなっていたが、これは予め戦争開始の日を目がけたものでは決してなく、翼賛会の事物担当者が前にきめたものであった。漸く時局が急となり、国交断絶の日もせまって来たが、それだからと云って急にこれを延せば却って混乱を生じ、色々の悪結果を来たす。だからそのままにしてあったのである。この大会には総裁たる総理大臣は勿論出席して挨拶をする、又各大臣も出席して話をすることとなっていた。愈々今日となってはその進め方を全面的にかえなければならない。

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 そこで閣議がすむと直ぐ、翼賛会の副総裁の安藤さんに来てもらって、事情を話して打合せはとげてあったが例えば総理の挨拶の如き全く新しいものに書き改めなければならない。その他各大臣出席の順序等も組みかえる必要があった。

 がそれらは畢竟事務で、何とか始末はつく。とにかく当日の大政翼賛会の会合は滞りなく行われ、時期が時期とて相当緊張した空気で終始した。その日奥村情報部次長が2時間に亘る長広舌を振って2000の聴衆を煙にまいたと云う話も、にわかに起った真空状態のために生じたエピソードである。

「帝国の存立亦正に危殆に瀕せり」

 私はその日の午後は、考えている暇もない仕事に忙殺されていたのであろう。誰と会って、どんな話をしたか今は全く記憶がない。今記憶していることは、東条首相のところに近衛前首相からその日を記念して、伝家の銘刀が一振贈られたことと、夜私の家に北玲吉代議士から電話がかかり、宣戦詔書の中に「帝国の存立亦正に危殆に瀕せり」と云う一句があるが、これは瀕せんとすと書かなければいけないのではないかと云う注意があったこと位である。

戦果を大々的に報じる東京朝日新聞

 そこのところには調査原案作成中も議論があり、宮内省の文章の大家の書いたものなのでその人に確かめたところこう書くのが正しいと云う説明があり、これに従ったものであった。そこで北氏にはその旨を語り、御注意は有難いが、研究の結果こう云うことになったのだと云う事情を話した。

 もっとその外にも色々なことが行われ、色々の人に会ったに違いないが、今はっきり憶えているのはその2つだけである。結局私も緒戦の戦果のために、朝心に湧き起って来た深刻なさびしい気持もやわらげられ、仕事に追われ、そうそうとして一日を送ったと云うが実情であろう。

(東条内閣書記官長)

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
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日本の運命を変えた太平洋戦争の裏側――東条英機内閣の書記官長が明かした「開戦前夜」

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