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連載昭和の35大事件

日本の運命を変えた太平洋戦争の裏側――東条英機内閣の書記官長が明かした「開戦前夜」

ハル・ノートの10日後にアメリカから届いた“親電”とは

2019/11/10

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際

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開戦直前に届いた「大統領から天皇に対する親電」

 ここも極めて静かであった。内大臣もこの一日は穏かな日曜を送った模様であった。

 和服を着て寛いでいた。結局家に帰ったのは10時頃ともなったろう。翌朝は早くから働かなければならないので11時頃には床についた。3、4時間ではあったがぐっすり眠った。

 が、その晩私が帰ってからずっと後、真夜中に東条首相は突然東郷茂徳外相の訪問を受けた。その晩遅く12時過ぎ、米国大使グルー氏が外相を訪問し、大統領から天皇に対する親電がとどいたから、至急御手許にとどけてくれとの話があったのだ。外相はこの電報をたずさえて首相に相談に来たのである。これに対する外相の考えはとにかく親電は至急陛下の御覧に入れる。

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 がその内容は何等新しい提案を含んではいず、只従来の先方の主張を繰返えし両国外交の親和を望む抽象的なものである。且つ時期は既に遅い。ハル・ノートに対する日本側の回答が、大統領に手渡しされる時期も刻々迫っている。従って今更これに対し処置をとる時間はない。この親電はこのまま聞きおいて、時間の経過によって解答をする外はないと云うことであった。

 東条首相もこれに同意し、外相に直に宮中に参上して陛下に親しく御話しをすることをすすめた。外相は夜中直に宮中に赴いた。宮中からは木戸内大臣に御召しがあった。内大臣は急いで宮中内大臣府に出ていった。

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わずか10日前に送られたハル・ノートとは「調子がちがってた」

 外相は先ず内府を訪れ、簡単に親電の内容を話し取扱いについての意見を説明した。内府も異存はなかった。外相は陛下の御前に出て、説明を申上げ、取扱い方についても意見を言上した。陛下も何の御意見はなかった。木戸内府は、外相が帰りに又立寄ることを期待して、室で待って居たが、外相は寄らずに帰って行った。又陛下から呼ばれて意見を尋ねられることもなかった。内府は待ちぼけを食った訳だが、外相もかえり、陛下も奥に入られたことを聞いて自宅に帰った。

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 この親電の真意は今にはっきりしない。蓋し日本側の提案に対する回答としては、所謂ハル・ノートが26日に日本側に手渡されている。これがために日本は終に外交の断絶を覚悟するに至ったことは前に述べた通りだ。これに対する日本側の返事はまだ先方には届いていない。その状況の下に、ハル・ノートが発せられてから10日たって、突然この親電が来たのである。その内容には何等具体的なことは書いていない。が只日米両国の国交をあつくすることを望む趣旨を述べて居り、ハル・ノートとは調子はちがっているが一方日本軍の南部仏印集結の事実をのべ、これが米国内の不安の原因であることを指摘し、その中止撤去のために天皇の尽力を要請している。この点は実は先に日本側の提案第2号の主旨であり、日本としては南部仏印より全軍を撤廃すべきことを申出たのである。ところがハル・ノートでは全然これを黙殺した。而してそう云う日本側の提案は恰もなかったかの様に、南部仏印への集結の中止及撒退を要請しているのはどういう考えなのか。