科学者でさえも、そこからは逃れられない
――母乳信仰、自然分娩信仰という、出産を経験する女性の多くが直面する話題にも、切り込んでいらっしゃいます。
朱野 「ミルクで育てるとキレやすい子が育つ」「帝王切開をすると母性が生れない」などですね。それを信じこんだ親にいくら「科学的根拠はない」と訴えても伝わらないことが多いですよね。当事者は急激な身体変化や、我が子が死ぬのではないかと言う恐怖、疲労や睡眠不足などに直面しています。そこへ、周囲から「善かれと思って」大量に発信される危険情報がなだれこみます。正常な思考ができなくなる環境が整ってしまっているのです。彼らに必要なのは説教ではなく、まず手助けだと思います。
私自身の話をすると出産時には無痛分娩を選択しました。「痛みを味わわないで産んだら親になれない」と言ってくる人がいたら反論してやるとメリットもリスクも調べあげて待ち構えていたんですが、面倒な気配を感じたのか誰からも言われませんでした。ただ、そんな私にも非科学的なものを信じなければ立っていられない時はありました。
東日本大震災のあと、亡くなった身内の幽霊を見た人がいる、という話がテレビで特集されていました。身近な人を突然失った人たちがどうやったら苦しみを乗り越え、自分の心に決着をつけられるのか。科学ではないもののストーリーを必要とすることが人生には何度かあるのだと思います。
科学を信じる人たちも、科学者でさえも、人間である以上はそこからは逃れられないはず。かと言って、似非科学をこれが本物の科学だと偽って売ることが許されるわけではない。
科学への信頼は失われたまま
――まさにこの小説を執筆しているころに、STAP細胞の画像流用事件が起きました。
朱野 「はやぶさ」の帰還や、iPS細胞の研究がノーベル賞をとったりして、世間での科学への関心が高まっている時でした。でもあの事件があってから、科学への信頼は失われたまま回復していないように思います。一般企業の会社員にはSTAP細胞があるかないかはわからないけれど、リスクマネジメント研修は嫌というほど会社でやらされる。不正が生まれやすい土壌がある業界であるかどうかは不祥事への対応を見ればすぐわかります。
また、怒りの声を上げていたのが一部の科学者だったこともショックでした。大多数の科学者の人たちは沈黙していたように見えました。「捏造なんてよくあること」という言説が流れていたのにも驚きました。そんな不確かなものを私たちは科学だと信じて税金という大金を払ってきたのか、と。それは似非科学を売ることと何が違うのでしょうか。