攻めを凌ぎ合い、水面下に潜む激しい変化を読む
持ち時間が3時間の対局は、通常10時開始で昼食休憩を経て18時頃には終局する。しかし、叡王戦は他の棋戦と違い、15時から対局開始となるため、夕食休憩を挟んで大体21時から22時あたりに終局することが多い。最終盤を迎える時間帯には、肉体的にかなり限界に近くなるのではないだろうか。最終盤は一手間違うととんでもない大逆転が起こることもあるため、勝勢側敗勢側どちらも決して油断はできない。そのため栄養補給も立派な作戦と言えるだろう。ゲン担ぎの高見七段と「謎」の千田七段、はたして――。
エネルギーを補充した夕食休憩明け。時折長考するものの、指し始めるとポンポンと駒が動く。強気に出たお互いの攻めを凌ぎ合い、水面下に潜む激しい変化を読み、神経を使う展開が続く。しかし評価値はほとんど互角で、ついにそのまま終盤戦を迎える。
局面を動かしたのは高見七段の攻めだった。先手玉に迫ってぎりぎりの寄せ合いに持ち込み勝負しに行こうとしたが、その思惑は千田七段に受けつぶされ、詰めろがほどけてしまった。
そこからはあっという間であった。もう局面は最終盤だ。後手玉には詰めろがかかり、もう助からない。あとはどう詰むかだけの局面であった。
敗戦後のへとへとな状態でも……
しかし、高見七段は諦めてはいなかった。先手玉を仕留めるために4七に打ち込んでいた香車を4九に成り込ませたのだ。
この手は詰めろにもなっていないし形作りとも言える手でもない。にも関わらず、この誰の目から見ても厳しい状況で角筋を通し、銀を受けた。それ以外の手だとすぐに詰むが、この香成りによって少し延命される。高見七段はその延ばした命に賭けたのではないだろうか?
しかし先手はそれを許さず、通された角筋を手堅く受け、勝利を挙げた。21:58、高見七段が頭を下げて投了を告げる。
ずっと互角の難しい将棋であったため、感想戦は1時間以上行われた。終了後、高見七段はこちらに向かって一言「将棋めしの取材にいらしたのに、こんなですみません」とぽつりと言った。高見七段はそういう棋士だ。いつでも観客のことを思いやり、楽しませよう、期待に応えようとしてくれる棋士だ。あの時注文したチキンカツは、やはりゲン担ぎだったのだろう。何としても勝ち上がりたかったのだろう。タイトルを奪取されてしまった時に耐えきれなかった涙をぬぐうには、もう一度番勝負に立ち、奪取するしかないと考えていたのだろう。この大熱戦の、それも敗戦後のへとへとな状態でもその姿勢を崩さない姿に思わず言葉を失った。
その後、生放送で解説を担当していた兄弟子の勝又清和六段と共にゆっくり階段を下り対局室をあとにした。