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連載昭和の35大事件

東条英機の側近が「黙れ!」の一喝――恐怖の「国家総動員法」審議中に巻き起こった騒動とは

強気一辺倒の同調圧力で生まれた悲劇のはじまり

2019/12/09

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ライフ, 歴史, 社会, メディア

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「陸軍省の一課員が議場で議員を怒鳴りつけるという異常な事件」

 翌4日、「委員会劈頭における杉山陸相の虚心坦懐な釈明によって、両者間に横たわる不快な気分は一掃され、総動員委員会の審議も再び元の軌道に復した」(4日付朝日夕刊)。「戦時統制法規の集大成ともいうべきものであった」=1969年3月3日放送の東京12チャンネル(現テレビ東京)報道部編「証言 私の昭和史(2)」=法案の審議をめぐって、「陸軍省の一課員が議場で議員を怒鳴りつけるという異常な事件」(「昭和世相流行語辞典」)は、「当時の政治情勢を象徴的に示した事件として話題を呼んだ」(「別冊1億人の昭和史 昭和史事典」)。佐藤中佐は杉山陸相から叱責され、「登院を自発的に遠慮した」(「佐藤賢了の証言」)が、何の処分も受けなかった。

翌日、杉山陸相が「遺憾」を表明して問題は収まった(東京朝日新聞)

 法案は「乱用しないこと」という付帯決議付きだが、原案通り3月24日に可決、成立。本編に「支那事変中は使わない」と答弁した話が出てくるが、実際は約4カ月後に労働者の雇用・賃金などの統制が始まった。この前後には、右翼団体が武器を持って政友、民政両党本部を襲撃。「黙れ」発言と同じ日には社会大衆党の安部磯雄党首が右翼に襲われて負傷するなど、世情は騒然としていた。

「黙れ」事件は“戦争に向かう流れ”を象徴するものだった

「いや、それはねえ、少し話がオーバーだと思うんですがね」。

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「黙れ」事件からちょうど31年後の「証言 私の昭和史」で、佐藤賢了元中将(最終階級)は、「やはり、佐藤さんが軍服を着て『黙れ』と言われたことは、その(戦争に向かう)大きな流れを非常に象徴する一コマだったような気がしますね」と問われて、やんわり否定した。

「陸軍の一説明員の一喝でですね、陸軍の政治勢力が大きくなり、議会の勢力が衰えたなんて、そんなもんじゃないとわしは思うんですけれども。この総動員法がね、東京裁判で検事が大いになにか全体主義だとか独裁だとか、いろんなことを気負い込んで言いましたよ。そうするとね、裁判長がなんと言うたかというとね、『こんな法律は、戦時はどこの国でも作ってるじゃないか』と言われて、検事が振り上げたこぶしのやり場がなくて、モゾモゾしておりましたが、“ザマーミロ!”と叫びたいぐらいでしたね」。「一説明員」と言いながら、そこには“大向こうをうならせる”目立ちたがり屋ぶりが表れた。当時は雑誌などにも登場。“スター扱い”された。

当時は雑誌にも登場。一種のスターだった(「文藝春秋」より)

 佐藤元中将は著書「佐藤賢了の証言」でも、「この事件を世間では大きく取り扱いすぎる感があった。まるで陸軍が議会を圧迫し、その勢力を衰頽させたかのようにいったのである。実にばかげたことである」と述べている。