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警視総監からM-1立ち上げ人まで 「灘高校1979年卒業生」が明かす“神童たちの青春時代”

『灘校物語』和田秀樹さんインタビュー

2019/12/14
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高校生で“初体験を済ませている”のは「柄の悪い奴」

――あと、『灘校物語』に描かれていた思春期の男の子のエピソードも面白かったです。「これだけ開放的な学校であっても、スケベ話は相手を選ばないといけない」という。

和田 そうなんですよ。灘の生徒は親が厳しい人が多かったせいか、女の子には目もくれない人たちばっかりでしたね。逆に高校生で「初体験を済ませている」なんて言ったら、「柄の悪い奴」っていうレッテルまで貼られて。僕自身も親から「とにかく結婚させられてしまう」なんて言われて、それを大学2年生ぐらいまで信じてましたからね。そんなの怖すぎるって(笑)。 

 灘はそんな感じだけど、なぜか麻布は真逆で、高校生ぐらいで初体験は済ますのがカッコいいという文化。これは東大に入ってから知りましたけどね。

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――『灘校物語』では個性豊かな同級生たちも描かれていますが、弟の雅樹さんも登場しますよね。法曹出身で、最近は法務省入国管理局長を務めたエリートですが。

和田 読んでいただければわかるんですが、僕って酷い兄貴だったんです(笑)。それなのに弟は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」ってなぜかなついていて。

 そんな彼がある日「灘の勉強を教えて」って言ってきたんです。僕もちょうど東大に受かったばかりで調子に乗っていたので、文系の友達にも聞いたりして勉強法を色々と教えたんです。そのときに一緒に教えたのが暗記数学。そしたらまさかの合格で。びっくりしました。

「自分たちで受験テクニックを編み出す」が灘流

――和田さん自身、東大受験はどこかの塾に通われたりは?

和田 してないです。当時の灘校は“自分たちで受験テクニックを編み出す”っていうのもみんな面白がってやっていたんです。

――なるほど、“自分たちで受験テクニックを編み出す”。

和田 440点満点で290点取れば理Ⅲに受かるとか、社会科系の科目の論述はこの新書を読んでおけば大丈夫とか、みんな塾で教えてもらえるようなことを生徒が自分でそれぞれ編み出して共有していたので、僕は灘じゃなかったら東大に受かってなかったんじゃないかとも思っているんですよ。

 みんなで対策を考えたり、テクニックを見つけたりして受験自体は楽しかったんですけど、今思えば全く将来のことは考えられていなかったなと思うんです。これは灘校のある意味での課題かもしれません。

 

――灘校の課題ですか。

和田 例えば東京に行ったらどんな仕事があるかとか、官僚になるにはどうすればいいかだとか、テレビのディレクターになるにはどうすればいいかって、東京育ちの人たちと比べると、灘校生には想像しにくい。みんな東京を拠点にした仕事ばかりだから、どういうふうに目指せばいいかが分からないんですよね。だから灘校生の進学先に医学部が多いというのは、実は単純な理由で、東大を出た後どうしようかというのが描けないからなんじゃないかなと。医者だったらとりあえず食えるし、何より身近に先輩がいますから想像できますよね。

 

 だから僕らの1学年上で村上ファンドの村上世彰とか勝谷誠彦といった卒業生を呼んで最近は学校で講演会をやる機会も増えていると聞いています。僕は全然声がかかりませんけどね(笑)。でも40年も前に卒業した学校にそうやって話しに行ったり。あと、同級生同士のつながりが絶えないのも灘の良さです。今でも僕たち「1979年卒」はメーリングリストで繋がってますしね。

――メーリングリスト? どれくらいいらっしゃるんですか。

和田 220人くらい卒業生がいて、150人くらいメーリングリストにいるんじゃないかな。「今度ゴルフコンペやりましょう」ってお知らせが来たりして、交流がいまだにありますよ。