クリスマスイブの夜、発足したばかりの日産自動車の新体制が崩壊した――。
日産自動車の執行部門ナンバー3で副最高執行責任者(副COO)の関潤氏が近く退任し、2020年4月以降にモーター大手の日本電産社長に就任する見通しが明らかになったのだ。日産は西川廣人・前社長兼CEOが社内規定に反した報酬を得ていたことが発覚、9月16日に事実上の引責辞任に追い込まれた。それを受けて、社外取締役らで構成される指名委員会が10月8日、後任に内田誠専務を昇格させることを決めた。
同時にナンバー2であるCOOにルノー出身のアシュワニ・グプタ氏、副COOに関氏が就くことも決め、トップ3の「トロイカ体制」での事業推進体制にした。2020年1月1日までに新体制に移行する方針を示していたが、1カ月前倒しして12月1日付で新体制が発足したばかりだった。
関氏を“排除”したルノー・スナール会長
「トロイカ体制」では、内田氏が主に筆頭株主であるルノーとの交渉や協業、グプタ氏が生産や販売などの通常業務、関氏が経営再建計画と商品企画、次世代モビリティをそれぞれ担う体制になった。序列がナンバー3とはいえ、関氏の担務が日産の早期業績回復のためには最も重責で、氏が「影の社長」と見る向きもあった。
日産関係者がこう説明する。
「実は社長には関氏が就く可能性が最も高かった。日産社内も販売店も、部品を供給する取引先もそれを望んでいた。なぜなら、この3人の中では、実績、経営者としての能力が断トツだからです。3人の中では関氏だけが生え抜きで、生産、販売、商品開発などグローバルに幅広い経験をしており、人望もあった。社内をまとめて一丸となって再生するためにも関氏が適任だった」
ではなぜ、社長に最も適任と見られた人物が社長になれなかったのか。ズバリ言うが、指名委員会が判断ミスをしたからだ。
前出・日産関係者が語る。
「6人で構成される指名委員会でも社長に関氏を推す声が強く、いったんは関氏で決まりかけたが、指名委員になっているルノーのスナール会長が『関はルノーと距離を置こうとした西川前社長に近いからだめだ』と言って強硬に反対し、流れが変わった」
ある日産幹部もこう解説する。