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「え、そのキスシーン必要?」「血縁主義」に回帰してしまった『スター・ウォーズ』最新作への違和感

女性主人公は旧作の価値観との闘いに敗北した

2020/01/05

『スカイウォーカーの夜明け』についても、男たちの物語の奇妙さが、作品全体のほころびになっている。カイロ・レンは述べたように、息子と父(ハン・ソロという実父だけではなく、ルークやダース・ベイダーといった象徴的な父)との衝突というクラシックな物語と、息子と母の物語(レイアへの愛着の物語)を「全部やらされ」た上に、ご褒美のようにレイとキスをして結ばれるが、そのまま死んでしまうしかない。これだけクラシックな「男の子の主体形成/成長の物語」を全部やらされた上に、残されたのは死だけ。よく考えれば(考えなくても)ひどい話だ。 

 もう一人はフィンである。彼は『ナウシカ』のアスベルのように、レイに恋慕をし、彼女を助けようとがんばる。しかし、彼の異性愛的な主体のありようは非常に中途半端というか、ぞんざいな扱いを受けている。『最後のジェダイ』ではローズ、『スカイウォーカーの夜明け』ではジャナという、いずれも新キャラをあてがわれるも、それぞれとの関係は結局曖昧なままである。 

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』主演のデイジー・リドリー(左)とジョン・ボイエガ(右)©Getty Images

フェミニズムを軽やかに乗り越える女性の虚像が、“亡霊”を生む

 私はここで、こういった男たちがかわいそうである、もっとまともな物語や主体を与えられるべきだ、そもそも現代の男たち一般がフェミニズムの隆盛の中で割を食っていてかわいそうである、などと言いたいわけではまったくない。(現実には男たちはいまだに既得権者であり、フェミニズムのせいでひどい目にあっていると思っているなら、それは単なる現実の見間違いである──というより、ポストフェミニズム的物語がまさにそのような見間違いを起こさせているのだが。)そうではなく、ポストフェミニズム的な女性の物語のほころびとしてこういった男たちが生じてくるというのは、ひとつの典型だと指摘したいだけだ。 

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 このすべては、私がポストフェミニズム的物語と呼んできたものにおける女性主人公の 像が、虚像にすぎないことの帰結なのだろう。フェミニズム的な問題をすべて軽やかにクリアして活躍する「輝く」女性たち。そういった女性像からこぼれ落ちてしまうようなさまざまな現実が、亡霊のように物語のほころびとなって回帰している。彼女たちの「ルーツ」を本当の意味で見つけたいなら、私たちはそういった亡霊の出所を探す必要があるのだ。 

戦う姫、働く少女 (POSSE叢書 Vol.3)

河野 真太郎

堀之内出版

2017年7月20日 発売

「え、そのキスシーン必要?」「血縁主義」に回帰してしまった『スター・ウォーズ』最新作への違和感

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