主婦から世界がどう見えているのかを書こう
――サンちゃんが、すごくのんびりした主婦なんですよね。そこにご自身が投影されていると聞いてびっくりしました。本谷さん、以前は「劇団、本谷有希子」を主宰されて精力的に活動しているイメージでしたから。
本谷 とにかく周りから「変わった」と言われますね(笑)。劇団をやっていた頃は演出家としての顔も持っていたので、まだまとっている空気がピリピリしていたんだろうと思います。今はたしかに結婚して、嫌でも他人を受け入れなきゃいけなくなったから、ずいぶん寛容になった気はしますね。
――ご自身が主婦になったことから、家のなかで過ごす主婦から世界がどう見えているのかを書こうと思ったのが出発点だったそうですね。
本谷 そうです。家で過ごす時間が長くなってから、自分がこうだと思って観ていた世界の形と、ずいぶん違う形の世界が見えてきて。でも世界そのものはまったく同じなんですよね。自分の視点や価値観の感じ方が変わって、別の角度から見えるようになっただけなんです。違う形に見える視点が見つかったなら、やっぱり小説に書きたいじゃないですか。でも主婦って結構、モチーフとしては難しい。なにせ基本的には何も起こらないので。だから、ちゃんと形として辿りつくまでに相当時間がかかって、なかなか面白く書けませんでした。2年半、机に向かって書いてはやめ、書いてはやめを繰り返していました。
――実際、いろんなタイプの主婦を書いてみたそうですね。
本谷 はい。それでもずっとうまくいかなくて。書いてもうまくいかなかった主婦像と、最終的に書いた主人公のサンちゃんが決定的に違うのは、悩まなさというか。「まあいいか」と言って受け入れる怖さでした。旦那さんの輪郭がどんどん崩れていって、人間ならざるものになっていく状況も怖いんですけれど、それと同時にそれを受け入れるサンちゃんのなかにも恐ろしさが感じられた時、ようやく作品の中に拮抗する力が出てきた気がしました。小説の骨組みの一部として、語り手がちゃんと立った気がしたんです。それまでは、「私ってなんだろう」とか「こういう生活でいいのかしら」と、全面的に葛藤したり思いつめたりする主婦を書くつもりだったんですが、うまくいかなかった。そんなことではなく、もっと生活に寄って、作り置きの常備菜を作ってタッパーに入れておいたり、ゴボウを炒めてきんぴらにしてみたりという細部を作っていくことでサンちゃんという人が見えてきました。この小説は主婦が主役ですが、日常というものも主役なんですよね。それはこの『異類婚姻譚』のなかにある「トモ子のバウムクーヘン」という短篇にも顕著に書かれています。どんなに非日常の状態に気づいたとしても、結局人は日常の状態に戻る。日常のぶり返しというか、どこに行こうとしてもそこに戻される日常の強靭さというものを、もうひとりの主役としておきました。それが自分で生きていて感じることですし。
――そして旦那さんの人物像も紆余曲折あって。
本谷 そうそう、旦那さんもいろんな旦那さんを書きました。いることはいるんだけれどもほぼ気配がなくて、人格も持っていないような記号的な旦那さんとか、いろいろ書いてみたんですけれどうまくいかなくて。この題材自体が間違っているんだろうかと思ったことが何回もありました。そもそも専業主婦を主役にすることが間違っているのかもしれないと思ったこともありましたね。でも、やめようとして違うものを書いてみても、どうしても心が専業主婦に戻っていくんですね。だから、いっぱい、できそこないの主婦と旦那さんを書きました(笑)。