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自分の想像を超えるものの反復をやっていた

――その『嵐のピクニック』は奇想天外な発想に満ちた話が詰まった短篇集ですものね。荒唐無稽ななかに愛らしさや切なさがあって、本当に面白かった。あの短篇集がご自身の想像力を解き放つ訓練になったわけですね。

嵐のピクニック (講談社文庫)

本谷 有希子(著)

講談社
2015年5月15日 発売

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本谷 それを経て、小説の自由性を自分のなかに受け入れられたんだと思っています。『異類婚姻譚』でも、旦那さんの顔が傍らに置いた石に似てきたとか、ああいう不思議な話がすっと書けるようになりました。それに対して何の違和感も抵抗もないというか。なので、今回、夫婦が似るというありふれた日常を書いた小説が、いつの間にか異界のほうにスーッとスライドしていったのも、それを自然にできるようになったからなんだろうな。

――不思議な話が詰まった『嵐のピクニック』の13編は、『群像』に一挙掲載されたものでしたよね。千本ノックのように毎日コツコツと書いて、リアルを手放す耐性をつけた、と以前インタビューでおっしゃっていました。

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本谷 自分のなかの常識と、小説はこういうものだというしつこい思い込みがあって、それがなかなか壊れないんですよね。とにかくかなりの数を書き散らかしながら、小説はこうしないといけないという価値観を叩き壊していきました。

 最初、私が短篇を書きたかったんです。それがなんで千本ノックになったんだろう。編集長が私に「とにかく書けるだけ書け」と言ったのか、私が「書けるだけ書く」と言ったのか……。でも書くんだったら1本の短篇を不定期に載せるのではなく、まとまった数の短篇を一気に出したいと思っていました。そこから始まったと思うんですよね。それで、私は書いたものを捨てることに抵抗がないので、とにかくたくさん書いたんです。きっとひどいものがいっぱい出来上がってくるから、それを選別して直して書くよりは、どんどん捨てたほうが早いなと思って。でもそれほどボツにならなかった気がする。17~18本書いて、そこから13本になって。

 こういうことも書いていいんだ、ああいうことも書いていいんだということを知るための忍者の修業のようでした(笑)。毎日少しずつ伸びていく草を、毎日飛び越えていくと、いつの間にか高い草を飛べるようになっていた、みたいな感じ。単行本に収録された順番は書いた順番とは違うんですけれど、でも書いた順番から読むと、こわごわファンタジックな世界に入っていっているのが分かりますね。最初は「アウトサイド」で、そこからおそるおそる、ここまでやっていいのかな、ここまではどうかなって。少しずつ慣らしていって、最終的にポンとありえないことを書けるようになっていて。段階を踏まないと書けなかったです。

――最後に収められた「いかにして私がピクニックシートを見るたび、くすりとしてしまうようになったか」は最後に書かれたものでしょうか。あそこに出てくる「あらゆるものは、自分の想像を超えているかもしれないのだ」という言葉が心に残っています。

本谷 たぶんあの短篇を最後に書いて、最後にその言葉が出てきて。自分ではバラバラなものを書いていたつもりだったけれど、結局は一貫して同じことの反復をしていたんです。自分の想像を超えていくという反復をずっとやっていたんだと後から気づきました。