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芥川賞受賞が今回でよかった。過去のどこかでいただいていたら賞の大きさに負けていた気がする――本谷有希子(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/03/26

genre : エンタメ, 読書

自分の考えを持ち、世間と同化しないことは難しい

――いっぱい書くなかで、優秀だったのがサンちゃんとあの旦那さんだったという。

本谷 そうですね、あの2人が抜きんでて怠け者だったという。

瀧井朝世

――怠け者で動かない人たちの話を動かすのは大変そうなのに。

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本谷 そう。でも中盤で、サンちゃんが旦那に「本当は何も考えたくないんでしょ」と言うくだりがあるんですが、反対にその旦那に「いやでもサンちゃんだって、本当は何も考えたくないんでしょ」と言い返されてしまった時に、ぐうの音も出なくなるんですよね。この後に話が大きく動く。あの2人が本当に何も考えたくないっていう人物だったから、そうなった気がします。

――何も考えない、というところに現代性があるのかも。昔だったら情報がなくて考えるきっかけもなかったようなことも、今は情報があふれていろんなことを考える機会がありすぎて、かえって思考停止になってしまうのかもしれませんね。

本谷 そうですね。いろんなことが入ってきすぎていて、それをシャットアウトできない。今シャットアウトしようと思ったら、どこに行けばいいんでしょうね。たぶん山奥にいてもAmazonの荷物は届くと思う(笑)。文明から逃れるのも大変だし、情報が入ってくるということは、他人の思想や思考がどんどん入ってくるということでもありますよね。そんな時に自分のオリジナルの思想や思考のままでいることはすごく難しいと思うんですよね。たぶんほとんどの人が他人の考えをいつのまにかすり替えて、自分の考えっぽく言っていて、本当にそれが自分の考えだと思い込んでいる。

 今回の小説は、専業主婦の語り手が旦那に自分の考えを乗っ取られちゃうという形ですが、対社会みたいなところでも同じようなことがありますよね。今は自分の考えを持つこと、世間と同化しないことって本当に難しい。いつの間にか他人の声、他人の考えが自分の中に入り込んでいる。サンちゃんは人間関係において、相手を土、自分を根っこって喩えるんですけれど、一緒ですよね。世間っていう土に対して、その土全体が腐っていたらもうおしまいなんだけど、ただ、土がないと生きていけない。

――夫婦が少しずつ変わっていく様は、1行書いてまた次の1行を書く……というなかで生まれていったんですか。

本谷 基本的に全部、次の1行は自分のなかで固定しないようにしてるんです。今回、やたらに食べるシーンが出てくるのも無意識でした。ただ、結婚っていうものを考えた時に、特に専業主婦は相手に養ってもらっている、つまり食べさせてもらっている状態なので、そこから食べるということに繋がっていったんだと思います。サンちゃんが旦那さんに揚げ物という、中毒性が高いものを食べさせられている場面を書いた時、なんでそんな胃にもたれるようなものにしたんだろうって考えたんですが、たぶんサンちゃんのなかで旦那に養ってもらっていること自体が、何か胃もたれするようなものだったんです。楽なんだけれど、どこかでどんどんもたれていく自分がいる。さらに揚げ物には中身が何か分からないものを食べさせられているという不気味さがある。それを現すのが、商店街に行った時にサンちゃんが今の生活について、楽園とか極楽という言葉を思い浮かべるところですよね。サンちゃんはずっとここにいていいんだろうかと思いながら、出ていくのも面倒くさいという消極的な理由でそのまま暮らしている。その理由は私のなかでも、何よりも説得力のある理由です。人が何か「どうしてそうなったんですか?」と訊かれるようなことがあった時、「面倒くさかったから」で落ち着くことってかなりあるような気がします。そういうことをサンちゃんに持ち込んでほしかった。

――ラストがどうなるかも分からないまま書いていたわけですか。

本谷 分からないというよりは目を凝らしちゃうと見えちゃうので、ラストを見ないように、気をそらしながら書いていました。最後のほうの、旦那さんが猫の餌が値上がりしたんだとか商店街の話をどんどんしてくるシーンは、待ちに待っていた自分ではコントロールできない時間でした。書きながら、何かが起こるという予感だけはあったんですよね。それで、サンちゃんの「旦那はもう、山の生きものになりなさいっ。」という言葉がポロッと出てきて、自分でも「えっ?」と驚きました。あれは本当にもう小説に、どこかに連れていってもらったような感覚です。

――自分の中の無意識の領域から何かを掘り出していくわけですか?

本谷 そうですね。それと、絶対に小説をコントロールしちゃいけないと思っているから、目をつぶって運転している感じ(笑)。だから怖いんですよ。『嵐のピクニック』の時も半分くらいまで書いた時に途中で目を開けてしまったんですよね。そうしたら本当に怖くなっちゃって。誰がこんなものを読むんだという気持ちになってしまって。後ろを振り返りそうになって、担当だった須田ちゃんに私が「すごく怖い」と言ったら、「後ろ向いちゃ駄目です」って。「前だけ観てください」って。そこからの半分は余計なことを考えないようにして、前だけを観て書き続けました(笑)。

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