本谷式手書き原稿用紙の使い方
――それで大江賞を受賞されて。でもその次の『自分を好きになる方法』はまたがらっと変わりましたよね。リンデという一人の女性の一生を、各年代の1日を切り取って描いていく内容で。
本谷 「よし、自分が手放しで飛べることは分かった。じゃあ次に難しいことは何だろう」と考えた時に、地面にすれすれで、ずっと低空飛行していくのって難しそうと思って。それをやってみたくなったんですよね。いつもそんなふうに、「その状態って難しそう」などと、感覚的なところから入るんですよ。今回の『異類婚姻譚』も、『嵐のピクニック』のような非現実的なことをいれつつ、でもどこかでしっかり地に足をつけながら書いてみようと思ったんです。完全に飛び切っちゃうことはわりと簡単にできる気がしたから、飛び切らずに、どこかで土とか、地面、大地というものを感じさせていかないと、というのを課題にしていました。でないと、不思議な話、で終わってしまうから。
――『異類婚姻譚』というタイトルは最初からあったんですか? 異類同士の婚姻話というのは、民話や昔話にいろいろありますが、そのイメージはあったのでしょうか。
本谷 なかったんです。タイトルも最終的につけたものです。そのイメージがあったら、書けていないんですよね。私はいつも細部を書いていって、いつの間にかこういうものになっていた、という書き方なんです。ルンバが掃除をして、食洗機が皿を洗って、旦那さんは酎ハイを飲んでバラエティー番組を見てという、目の前の点を追っていったら、全体ができている。タイトルを先につけちゃうと、タイトルが枠になっちゃうんですよね。だから最後につけました。
――今回、はじめての手書きだったんでしたっけ。それはいかがでしたか。
本谷 これまでも何回かトライしたんですが、原稿用紙3枚くらい書くと面倒くさいと思ってやめていたんです。漢字も出てこないから辞書を繰らなきゃいけないし、って。でもお腹に赤ちゃんができて、嘘か本当か知らないけれど、目を酷使すると子宮によくないと人に言われて、原稿用紙で書き始めたんです。そこで前に原稿用紙に書いた時とは違うやり方を習得して、一気に書けるようになったんです。
――どんな書き方ですか。
本谷 きちんとマスを埋めていかない。マスはあるんだけれど、スケッチブックのように使うという使い方です。思いつかなかったら空白にして、「ここは後で何か書く」と書いて、平気で5枚飛ばしたりするんです。とにかく身体的な部分を重視して、手を動かして、ついていけないものはどんどん置いていくの。後で何か書きたいイメージがある時は、絵を描いたりしておくんです。グルグルグルって丸を何重もつけて、この感じを表現したいって書いておいたり。そういうふうに状態を記録していって、後から見直して、ここはすごい筆圧で丸がついているから、たぶんこんな感じで書きたかったんだな、とか、ここは変な絵が描いてあるから、こんなふうに書きたかったんだな、とか。自分の状態を見返して、その時に言おうとしたことを埋めていく書き方にしたんですよね。そうしたら自分のなかの小説の自由度まで広がったような気がして。はじめの段階の、こういうところから大事なんだなって思いました。
――その原稿用紙、とってありますよね? 見たいなあ(笑)。
本谷 とってあります。でも字なんてまともに書いていないし、ぐちゃぐちゃです。自分にだけ読める字です。最初は辞書を繰ったりしてちゃんと書いていたけれど、そんなことをやっていたら余計な雑念が入る。
でもやっぱり、憶えているんですよね、その時書きたかったことって。一応、2段階に分けているんです。1日の作業は、まず昨日書いたところを時間をかけて穴埋めしていくところから始めるんです。それが全部埋まったら、今日新しく書くところからまた穴あきの原稿を書く。次の日はまず昨日穴あきにしたところを埋めていく。というふうにコツコツやっていたの。これ、絶対にいいですよ(笑)。それからはエッセイなんかも全部手書きにしています。お陰で書く時間が飛躍的に短くなった。たぶんパソコンだと、最初からきちんと書こうとしちゃうから、その段階で時間がかかるんじゃないかな。もう戻れないですね。たぶん紙に書くほうが、より大きな運動が生まれてくるし、息遣いも入るし。『異類婚姻譚』も面白い展開かどうかみたいなことはどうでもよくて、とにかく小説に作者の人柄だけ滲ませようと思って書きましたが、それも原稿用紙のほうが滲むような気がしました。すべてにおいて原稿用紙がよかった気がする。