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劇中で繰り返し強調される、シャロン・テートの「二重性」

 リックとクリフが俳優とそのスタントという形で「ダブル」のテーマを体現しているとすれば、ポランスキーやシャロン・テートは現実を参照することで存在の二重性(現実のポランスキーとシャロン/フィクション内のポランスキーとシャロン)を確保している。この違いは、リックとクリフがあくまで架空の作中人物であるのに対して、ポランスキーとシャロンが実在の人物であることに起因している。

 映画は、とりわけシャロンの二重性を強調する。劇中には、彼女が自身の出演作『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(フィル・カールソン監督、1968年)を映画館で鑑賞するシーンがある。このとき、画面内に置かれた映画館のスクリーン(スクリーン内スクリーン、スクリーンの二重化)には、本物のシャロン・テートが映し出されている【図2】。

 ここで『サイレンサー』に出てくるシャロン・テートの姿をデジタル処理して、シャロンに扮したマーゴット・ロビーで置き換えることも技術的には可能である(じっさい、劇中劇として用いられている実在の作品『大脱走』や『FBI』ではそのようにしてディカプリオの映像を合成している)。しかし、タランティーノはそれを行わなかった。後述するように、シャロン・テートに「本物」がいることは、本作にとって決定的に重要だからである。マーゴット・ロビー扮するシャロン・テートは、あくまで本物のシャロン・テートの「ダブル」でなければならないのだ。

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【図2】スクリーン内スクリーンに映る本物のシャロン・テートと、それを見る劇中のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)の後ろ姿。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ監督、2019年[DVD、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、2020年])

劇中のシャロンの輝きは、実際の事件との対比から生まれる

 現実という参照項/光があるからこそ、作中のシャロン・テートは本物のシャロン・テートと陰陽の関係をとり結ぶことができる。このとき、シャロンの陰のイメージを担うのが現実で、映画は明確に彼女に陽のイメージを割り振っていると言える。なぜなら、現実の彼女が「シャロン・テート殺害事件」という惨事に見舞われ、妊娠8ヶ月の胎児ともども惨殺されてしまうのに対して、映画ではその事件が未然に防がれているからだ。では、なぜ映画内では事件が起こらないのか。それは、映画には(現実に参照項/光を持たない)リックとクリフが存在しているからである。

 ここまでの議論を要約すると、次のように言い換えられる。すなわち、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とは、リックとクリフという架空の二人組の存在が、シャロン・テートを現実の暗闇から救い出し、フィクションの世界で輝かせる物語なのだと。

 ここに本作の賛否が分かれた理由を求めることができるだろう。フィクションの世界でシャロン・テートが輝いていることを認識するには、前提として、本物の彼女が現実世界で遭遇した悲惨な事件を知っていなければならない(実際に起こった事件のことは映画内では一切説明されない)。「シャロン・テート殺害事件」の発生日が1969年8月9日であることを知っている観客は、映画内で描かれる一見するととりとめのないエピソードの連なりの背後に、破滅へのカウントダウンを幻視しているのである。