2人が犠牲となった「スターリンの大粛清」とは
1930年代を中心にソ連で起きた大粛清は、規模や原因など、全容はいまも解明されていない。横手慎二「スターリン」も「大粛清の全てを単一の原因で説明することが不可能なことは明らかである」としている。農業集団化などの経済政策や赤軍の運営などの軍事をめぐって、最高権力者スターリンを取り巻く上層部で権力争いが起きたことは間違いないが、それだけではなかった。
「現在では、1930年代後半の大弾圧は、こうした政治や軍事の指導層だけではなく、より広い階層の人々にまで及んだことが確認されているのである」(同書)。経済部門の管理者や女性、「満州」に関連した人々……。ありとあらゆる人が理由もはっきりしないまま罪を問われ、死刑を含む粛清の対象になった。「スターリン」によれば、1936年から38年までの間に政治的な理由で逮捕された者は134万人に達し、そのうちの68万人余りが処刑されたという。これよりはるかに多い人数を挙げる人もいる。
こうした大粛清はスターリンの意図とは別になされたものではなかったかという議論もあるが、「大粛清の責任はスターリンにはなかったとする結論まで引き出すのはバランスを失しているように思われる」と同書は指摘している。
「事件がおかしい」2人の越境に関心を示していたゾルゲ
興味深いのは、嘉子と杉本の越境、亡命にあのゾルゲが関心を抱いていたことだ。
ゾルゲはコミンテルンのスパイでドイツの新聞記者として日本で活動。1941年10月に逮捕され、1944年11月に死刑に処された。グループの1人で画家の宮城与徳(のち死刑)の警察訊問調書には、彼がゾルゲに報告した情報が詳細に記録されている。その中に「昭和十三年一月 杉本良吉、岡田嘉子の北樺太越境 両人の経緯及人物評」「ゾルゲの依頼により私の人物評に私見を報告」という記載がある。宮城は1942年3月の検事の取り調べにも2人の件についてこう答えている。
「此の問題はゾルゲから『事件がおかしいからスパイとして行たのではないか』と調査を依頼され調べて見ましたが、両人とも良い人で芝居を現実に行た丈のことであることが判りました」(検事訊問調書。以上、「現代史資料」)。ゾルゲからの報告は嘉子と杉本の運命に影響を及ぼさなかったのだろうか。