――デビューして最初の頃はものすごくプレッシャーがあったそうですが。
辻村 「メフィスト賞を過去に受賞した人のなかでこんなに喜んでいる人見たことない」と担当編集者に言われるくらい、最初は打ち合わせも喜々として行っていたんですが、何回目かの打ち合わせで「次回作を」と言われた時に、あ、人生ってここで終わりじゃないんだ、って気づきました(笑)。どうしよう、と思いました。ミステリーを書かなきゃ、みんなに面白いと思ってもらわなきゃ、と肩に力が入っていました。とりあえず「すでに書いているものがあるので、大幅に直させてください」と言って『子どもたちは夜と遊ぶ』の原型を直していったんですが、後半を書いていた時にふっと肩の力が抜けて。もう作家になって本を出すという、いちばん望んでいたことが叶ったんだから、後の人生は思い出みたいなことでもいいかな、ここから先は余生かな、って(笑)。そう思ったら失敗するのが怖くなくなったんです。何かに失敗したとしても、それはもう余生の中の出来事だから気にしなくていいと思えました。
――その次に『凍りのくじら』という、また違う方向にいったのは、肩の力が抜けたからなんでしょうか。
辻村 そうですね。ガチガチになってミステリーを書かなくてはと思っていたけれど、前の2作が必ずしもミステリー読者だけに受け止めてもらったわけではないなと感じたんです。じゃあ自分の書きたいことを書いてもいいんじゃないか、と、わりと自由になれた気がしました。
『凍りのくじら』はミステリー色の薄い内容で、しかもオチについては私の中ではミステリーとしてアンフェアなことをしている気持ちもあったんですけれど、それでもあの形で書きたかったんです。
――これは各章のタイトルがドラえもんのひみつ道具の名前であったりと、あの作品へのオマージュが詰まった作品でもあります。周囲と距離をおく高校生の理帆子の日常を描き、「少し・不思議」な要素のある作品。高校生の頃に書いた原型ではドラえもん要素はなかったとのことですが。
辻村 まず、そろそろこのへんで自分はドラえもんが好きだということが言いたいと思って(笑)。物ごころついた時からドラえもんのアニメを見ていて、コミックスも読んで育ちました。世の中のみんながドラえもん好きで当然だと思っていたんですが、学校のみんなと話していたら、私、人より詳しいんだ、と気づきました。
瀬名秀明さんもドラえもんがお好きなんですよね。ドラえもん好きの作家として不動の位置にいらして、私にとってはもうドラえもん界名誉顧問みたいな存在ですが、瀬名さんがドラえもんのムックのインタビューを受けているのを読んで、すごく格好いいなと思ったんです。自分もドラえもんを語るインタビューの依頼が来たらすごく嬉しいなと思い、それを実現させるために……(笑)。
『凍りのくじら』が家族の話だということも大きかったです。ドラえもんって、家族公認の思い出になりますよね。小さい時にドラえもん映画を観に行ったらはぐれて迷子になったとか、家にマグカップなどのグッズがあったとか。主人公の理帆子にとって、そういう家族の思い出と結びついているものとしてドラえもんを出せば、読者もその後ろに自分の子ども時代を感じてくれるのでは、と思いました。優れた物語はみんなの共通言語になりますよね。「あなたもそれが好きなんですね」ということで話が盛り上がる。しかも、ドラえもんくらい普遍性が強いものであれば、決して内輪受けにならない。
この『凍りのくじら』を書いているあいだに『ぼくのメジャースプーン』(2006年刊/のち講談社文庫)の構想ができたので、『凍りのくじら』を書きながら並行して内容を練っていきました。