ミステリーのロジックや仕掛けを使っている
――『太陽の坐る場所』はこれまでの青春ミステリーとは違って、同窓会で集まる男女の過去と現在が複雑に絡まっていく内容です。
辻村 出版社ごとに色を分けたいという気持ちがあったんです。『太陽の坐る場所』はシリアスな話になったので、私のなかでビターなものを書く出版社にしたいと思っていました。『朝が来る』はちょっと違うかもしれませんが。角川書店(KADOKAWA)ではホラーを書こうという気持ちがありました。でもこちらものちに『本日は大安なり』(2011年刊/のち角川文庫)を出したので、ホラーばかりとはなりませんでしたが。
――『太陽の坐る場所』が刊行されてインタビューした時、山梨から東京に住まいを移したとうかがったのを憶えています。
辻村 連載が終わったくらいの2008年の秋に上京したんです。連載もできたし、これからもきっとどうにかやっていけるだろうと思って、思い切って専業になりました。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』に取りかかっていた頃ですね。
――『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』では、東京で暮らしている女性が、地元で幼馴染みの女性が母親を刺して失踪したと知り、地元に戻って彼女を知る人たちに話を聞いていく。主人公自身、母親に対して屈託があるんですよね。地方での暮らし、母娘関係、女女格差のなかでの葛藤が浮かび上がる作品。この作品を書くことは壮絶なデトックスだったと言っていましたね。
辻村 エステとかのいいデトックスではなく、病気になって熱を出して汗をかいて強引に毒素を全部、身体から出した感じです。それまでもちらちらと書いていた、地方に暮らすこととか、母と娘との関係といったものがすべて出た話になったかなと思います。その意味でも節目になった小説です。
――そこから刊行ラッシュになっていく。09年には『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の前にホラー短篇集『ふちなしのかがみ』を出していて、10年にチヨダ・コーキが書いたという設定の『V.T.R.』(のち講談社文庫)、死者に会わせてくれる少年をめぐる連作の『ツナグ』(のち新潮文庫)、スピンオフを含めた短篇集『光待つ場所へ』。『ツナグ』では吉川英治文学新人賞を受賞されました。授賞式で辻村さんはニコニコしているのに、各社の女性担当編集者たちが涙ぐんでいて、それを見て私もうるっときました。
辻村 ああ、そうですね。それまでにも文学賞にノミネートされることが何度もあったのですが受賞したことはなかったので、『ツナグ』で電話がかかってきて「受賞しました」と言われた時に、本当に受賞することなんてあるんだ、都市伝説じゃなかったんだ、と(笑)。
みんな泣いてくれましたよね。自分の担当した本じゃないのに、各社の担当編集者が泣いてくれて、私はすごく幸せな作家だと思いました。
――11年に結婚式場を舞台にした群像劇『本日は大安なり』、同級生に私を殺してほしいと頼む少女の痛々しい青春を描く『オーダーメイド殺人クラブ』(のち集英社文庫)、音楽フェスを開催する地方の村の少年が辛い現実に直面する『水底フェスタ』(のち文春文庫)……。どれもミステリー色はあるけれど、ジャンルにこだわらずに書きたいものを書いている印象。
辻村 そうですね。何かコンプレックスは持っていたほうがエネルギーになると思うので、私はミステリーが書きたいのにミステリーっぽくないと言われるのがコンプレックスだと言い続けてはいるんですけれど(笑)。やっぱりどの話も、人が死ぬといった明確な事件がなくても、リーダビリティを高めるためにミステリーのロジックや仕掛けを使っている気がしています。ただ、ミステリーではないと思いながら読んで仕掛けに驚いてくれた人が、その経験を入口にしてミステリーを読み始めてくれたら、それはジャンルに対して嬉しい貢献ができているのかな、と。この時期からそう思えるようになっていきました。