真面目にやっている人が好き。真面目にやっている人にしか笑いを感じない。
――好転したのが、14年の『メタモルフォシス』(のち新潮文庫)なんですね。芥川賞の候補になった表題作ではなく、収録された「トーキョーの調教」を先に書かれていたわけですが。
羽田 そうです。「メタモルフォシス」が4年半ぶりに芥川賞候補になったんです。すぐ落ちるだろうなと思ったら、意外なほど善戦したというので、周りの編集者とか記者の見る目が変わったなと感じたんですよ。期待する感じを持ってくださっているというか。自分も、4年半前に書いて芥川賞の候補になった「ミート・ザ・ビート」よりもかなりまともな作品になっていると思ったんです。自分の作家性をあらわしているかはともかく、こういう作品を書けば実力を発揮できるんじゃないかというのが分かった。『メタモルフォシス』は全然売れなかったので金銭的に恵まれたというのはなく主観的なものなんですが、気持ちが楽になりました。だから幸福を感じるっていうのは金銭に関係なく、周りの人との関係がなんとなく充実しているかで決まるんだなと思いました。
2014年の7月に「メタモルフォシス」が芥川賞に落ちて、9月に20日間くらいで書いたのが「スクラップ・アンド・ビルド」の第一稿でした。それで1か月くらいで直しをいれて、2015年3月号の『文學界』に載せて、半年後くらいに芥川賞を受賞しました。
――急に流れが来たという感じでしたね。『メタモルフォシス』を読んだ時、私も「キタ!」と思いました(笑)。しかも「メタモルフォシス」は「トーキョーの調教」一作では短くて単行本にできないのでもう一本書いてくれ、と言われて書いたものだったそうですね。この2作はSMの世界を描いていますが、それはどうしてですか。
羽田 「トーキョーの調教」は2年かけて、いろいろ調べて書いたんです。それで、本にするには足りないからと言われて「メタモルフォシス」をパーッと1か月くらいで書きました。抱き合わせのために書いたものが芥川賞候補になったんですよね。
SMについては、立場が入れ替わる、ということを考えていました。『隠し事』の時も携帯を見る側と見られる側の立場が替わることを考えていましたが、これも日常の上下関係がSMの場では替わるということを考えていました。あとは「乳首を潰してください」というマゾの相手の願いを、いかに高圧的な態度で迂回するかが女王様の見せ場だという、倒錯した感じが面白いなと思って。それでSMの勉強をしようと思ったんですけれど、意外とSMを身体的にとらえた小説って少ないんです。観念的なSM小説はたくさんあるんですが。店舗でのSMの描写がある小説もほとんどない。だから小説では勉強できなくて。それでなおさら、それを自分が書いてみようと思ったんです。緊迫感を描くために何か読んで学ぼうと思った時にあったのが、藤沢周さんの『武曲(むこく)』でした。剣道の、剣と剣の間合いがSMの参考になりました。
――まさかの剣道小説という(笑)。この2編はSMの場面も「うわー」と思う生々しさがありましたが、と同時に「メタモルフォシス」なんかは主人公が証券マンで、日本の経済の行き詰まり感と主人公本人の精神的な行き詰まり感が重なる部分も面白かった。主人公が公園を散歩する男女のカップルを見て「この変態」と心の中で毒づく場面なんか最高ですよね(笑)。彼が真剣であればあるほど笑ってしまう。
羽田 なんか、真面目にやっている人が好きというのはありますね。真面目にやっている人にしか笑いを感じないというか。
――彼は自分がSMを極めることで世界を救える、くらいの生真面目さで取りくんでいますよね。一点突破を狙う姿は『スクラップ・アンド・ビルド』で筋トレに勤しみ、要介護のおじいちゃんを死に導こうとする主人公にも重なります。
羽田 「メタモルフォシス」がいい評価をもらった時につかめたと思ったのは、視野の狭い奴が暴走する感じ、でした。それを『スクラップ・アンド・ビルド』にそのまま活かしたんです。だからこのふたつは9割5分同じ作品なんですよ。なんなら「メタモルフォシス」のほうが出来がいいんじゃないのか、ともちょっと思ったりして。玄人の人でそう言ってくれる人も多いんですけれど、でも『メタモルフォシス』はハードカバー初版4000部、去年芥川賞受賞して過去作に増刷かかった時に1000部増刷して合計5000部。それで『スクラップ・アンド・ビルド』が23万部…。本の売れ行きというのは、作品の質とは関係ないんだなって思ったんです。だから自分の本は売れないって言っている作家に対して、恥ずかしくないんだよって言いたくなる気持ちがありますね。今後また自分の作品が売れなくなっても、たぶん恥じる気持ちはもたないでしょう。