極論ばかりがもてはやされるのは、相手の顔が見えていないから。
――『メタモルフォシス』好きなんですけれどねえ。でもSMよりも『スクラップ・アンド・ビルド』の介護問題のほうが、身近に感じて読める読者が多いのかな。そこに今の日本のいろいろなテーマが重なっていくわけですけれども。
羽田 両親が母方の祖母と同居しておりまして、そこでは老老介護が行われています。自分はそれに直接的な関与はしないのですが、月に数度顔を出し、母や祖母互いの愚痴を聞いてガス抜きのようなことを数年前からやってきました。それと、なんか、みんな極論ばかり言っているなという印象があったんです。バブル世代とか団塊の世代以上の人たちへの批判が盛り上がっていて、老人向けのメディアでは「最近の若者はおかしい」という極論ばかりがもてはやされている。極論ばかりじゃ何も歩み寄りがなく、何も生まれない。じゃあなんでそんなに極論ばかりなのかと言ったら、相手の顔が見えていないからなんですよね。戦争でも、たとえば米軍が無人爆撃機で中東に行って、建物ごと数十人殺すというのは相手の顔が見えないからできることであって、白兵戦でナイフを持って目の前の人間を刺すというのは結構難しいかなと思うんです。この小説の主人公の青年は、決しておじいちゃんっ子ではない。わりと他人としての祖父と同居するなかで、どのようなコミュニケーションが生まれるかということを考えました。
――『スクラップ・アンド・ビルド』を書いている時に、『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』にも取り掛かっていたということですよね。
羽田 そうです。わりと頭の中に『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』がある状態で、ちょっと休憩みたいな感じで『スクラップ・アンド・ビルド』を書きました。20日間くらいで第一稿を書いて、その後も全然直さなかった。あれは過去で一番、直さないで出した作品ですね。
――純文学系の人はプロットを作らずに書く方が多いですよね。羽田さんはどうですか。
羽田 『黒冷水』は最初から最後までプロットを組み立てて書きました。『不思議の国の男子』は途中までプロットを書いています。他は、2000年代中盤の頃に保坂和志さんの小説論にすごく影響を受けたんですよ。小説の運動性が大事なんだと思って、ちょっと勘違いして行き当たりばったりで書いていって、結果的にめちゃくちゃ直すってことをしていました(笑)。ああいう保坂さんの小説論みたいな書き方は、柴崎友香さんみたいに書き方が近い人がやるべきであって、当てはまらない人間にとっては違うんだなと気づきました。でも、プロットを最初から最後まで書くのも、なんか違うんです。書きたいことがあったらそれをうまく書き表せる主人公や周りの人間関係や舞台の設定だけをしっかり固めて、そこから後はそんなに考えず書くようになりました。そうして書き始めたら、後はもう1行目の後に2行目を書く、という感じで進めていくと、納まるところに納まっていく。
昔は本当にすごく書き直ししていました。200枚の原稿のために1000枚くらい書いていたんじゃないかな。めちゃくちゃ面倒くさいことをしていました。だからわりと今でも、大きな直しをするのにあまり抵抗はないですね。
――今の社会が抱える問題というのは意識的に小説の中に書こうとしていますか。
羽田 社会的なものに頼りすぎると小説としてはつまらなくなると思うので、あくまでも一つの要素、肉付けとして取り入れている感じです。ただ、『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』も社会的な要素を入れることで、人が語りやすくなる小説にしようとは思いました。感想を口にしやすいだろう、という意味で。
――読者が感想を言いやすい小説を目指しているということですか。
羽田 わりとカルト的な映画って、語りたくなるじゃないですか(笑)。そんな感じの憧れがあったんです。『スター・ウォーズ』マニアがずっとシリーズについて語っているとか、『マッドマックス』について語る会がある、というような。社会風刺を入れることで、そのことについての会話も生まれやすくなるなと考えたんです。