年始に行われた第96回箱根駅伝。

 6年連続のシード権獲得を目指す中央学院大学は、復路6区の山下りに、1年生の武川流以名(ぶかわ・るいな)を起用した。

「1月3日の朝6時に最終決定で自分が走るとなったので、本当にギリギリでした。もう1人の6区候補の選手の方が力はあったので、自分は走れる可能性は良くて30%くらいかなと。最後まで監督が迷ってくれていたので、『可能性はなくはない』と思って、準備だけはしていた感じです」

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 武川はそんな風に大舞台を振り返る。

「沿道からの声援がすごくて、それがとても力になりました。キツかったですけど、1時間があっという間に終わってしまった。最後まで、楽しかったです」

中央学院大学1年生の武川流以名選手

 初出場にも関わらず、のびやかなフォームで急坂をリラックスして下っていくと、最後の平地も執念で走りきる。終わってみれば58分25秒の区間5位に食い込む好走だった。この記録は1年生の6区歴代最高記録でもある。

 だが、そんな武川が箱根駅伝を走る姿を、1年前に想像できていた人間は、おそらくひとりもいなかったのではないだろうか。

甲子園を夢見て白球を追いかける野球少年だった

「お前は何を言っているんだ。無理に決まっているだろう!」

 武川が「大学では箱根駅伝を目指したいんです」という話をすると、高校時代の教諭の中には、そんな答えを返す人もいたという。

 ただ、それも無理からぬことだったのかもしれない。理由は簡単で、武川が高校まで陸上競技経験などない、生粋の野球少年だったからだ。小学校1年生で野球を始め、高校3年生の夏に静岡県予選の2回戦で敗退するまでは、甲子園を夢見て毎日、白球を追いかけていた。

 高校では1年生からスタメンに名を連ね、2年生までは内野、3年時にはセンターを務めた。もちろん、そんな野球一筋の生活では、専門的に陸上競技に取り組んだことなどない。高校陸上界で記録の目安となる5000mも、一度も走ったことすらなかった。

 

「中学校に陸上部がなくて、学校の選抜チームで大会に出たことはありました。そんな経緯もあって陸上競技にまったく興味がなかったわけではないので、箱根駅伝は毎年見ていました。高校2年生の年の箱根の1区で、東洋大の西山(和弥、3年)さんが1年生で区間賞を獲ったのを見て『カッコいいな』と。ちょうど色々あって野球がつまらなく感じていた頃だったのもあって、『自分も走ってみたいな』と思って、やろうと決めたんです」