『挑戦していいんだ』と思わせてくれた周囲の声
そして話を聞きながらもうひとつ感じたのが、武川の周囲にチャレンジの背中を押してくれる存在がたくさんいたことだ。
「正直、周りにはけっこう『そんなの無理だろ』という人も多かったです。でも、一番大事なのは自分の気持ちだと思っていましたし、親も反対しなかったんですよね」
両親は「若い時にしかできないんだから、やりたいようにやればいいよ」と言ってくれた。また、野球部の友人たちも、決して可能性にふたをすることなく「もし出られたら応援に行くよ」と声をかけてくれたという。武川は「野球部の友達は箱根駅伝の規模を理解していないので」と笑うが、そんな忖度のない言葉は、覚悟の支えになったことだろう。
また、入学前の秋から参加したランニングクラブのコーチも「けっこういい走りをしているな。これは箱根もいけるかもしれないぞ」と発破をかけてくれたという。
「それを聞いて『あ、やってみていいんだ。挑戦してみていいのかな』、『自分の考えは間違っていなかったのかな』という気持ちになれました」
チームメイトの声援と協力、恵まれた環境への感謝
大学入学後も、チームメイトに恵まれたと、武川は繰り返し語っていた。
「みんな優しいんで、仮入部からでもすんなり受け入れてくれました。『お前、本当に野球部だったの?』みたいに話しかけてくれて。今住んでいる寮もすごくにぎやかで、楽しく生活させてもらっています。
中央学院の方針として、1年生は学校の授業もたくさんあるし、練習もあって寮の仕事もたくさん……となると大変だし、新入生だから疲れていることもあるだろうということで、寮での仕事はほとんどないんです。上級生が分担してやってくれているんですけど、それのおかげもあって競技に集中させてもらえました。寮生活は楽しんで、練習は練習でしっかり走って、とメリハリをつけてできたので、すごくいい環境かなと思います」
箱根路でも、チームメイトの声援が大きな支えになったという。
「15km以降は本当にきつかったんですけど、5区を走った畝(歩夢、3年)さんが沿道から声をかけてくれました。あのおかげで何とか頑張れました。畝さんにはいつも優しくしてもらっていたので、頑張るしかないなと」
そんな周囲の支えもあり、ここまで望外の活躍を見せてきた武川だが、来年以降はどんな未来図を描いているのだろうか。
「今季は箱根の予選会があるので、まずはハーフのタイムを上げていくことですね。6月の全日本の予選も含めて、チームに必要とされる立場で走りたいです。そのためには6区だけ走れても全然意味がないので、平地も走れる走力をつけて、箱根本番は6区でも、往路でも走れるようにしていきたいです」
本格的に陸上競技を始めて、わずか10カ月で箱根駅伝という大舞台にたどり着いた。だが、武川のサクセスストーリーは、まだ始まったばかりなのかもしれない。
写真=末永裕樹/文藝春秋
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