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特集観る将棋、読む将棋

2020/02/03

「羽生か森下か」といわれていた時代に

――では、その要因は、どこにあるとお考えですか?

高野 (得意としている)矢倉が再び戦型として流行り始めたことは、影響としてあるかもしれません。ただ、それ以上に大きいのはモチベーションの面でしょうね。先ほども言いましたが、今期は本来ひとつ下でやるはずだったのが、幸運にも残った。だからもらった1年だと思って精一杯やろうと。そして組み合わせを見たとき、9回戦で藤井くん(聡太七段)と当たれるだけでなく、5回戦で、森下先生(卓九段)と当たるというので、すごくモチベーションが高くなりました。

棋聖戦では本戦トーナメント進出を決め、初のタイトル挑戦をうかがう藤井聡太七段

――森下卓九段というのは、それだけ特別な存在なんですね。

高野 恩人ですね。私が四段になれたのは、森下先生のおかげなんです。初段の頃、師匠のところに森下先生が食事に来られていました。私も同席させてもらっていたのですが、その帰り道「将棋を教えていただけますか?」とお願いしました。

 これを機に高野六段は、森下卓九段と二人で指す、いわゆる「VS(ブイエス)」という形で、将棋を教わることになったという。

高野 その当時、森下先生は「羽生か森下か」といわれるくらい強かった。私なんかが相手で将棋になるわけがないんです。それでも教えてくださったので、今の私がある。あとは、同門だった島先生(朗九段)にも大変お世話になりまして、このお二人は、本当に恩人なんです。

「森下システム」を考案するなど、居飛車の本格派として知られる森下卓九段 ©文藝春秋

――大きなモチベーションで今期に臨まれたと。

高野 ええ。ただ初戦は、千葉くん(幸生七段)でしたが、残念ながら将棋にならなかった。その後、少しずつ他の棋戦でも勝ち始めた頃の2戦目で佐藤秀司さん(七段)に勝てた。3戦目の安用寺くん(孝功六段)との対局は、後で見ると、夕食休憩のときの局面などすごくいいんですよ。でも、それをこけて負けちゃって。

帰るときに「一杯どう?」

――今期の出だしは、1勝2敗でしたね。

高野 そう。ああ今期もダメかなと思っていたとき、転機となったのが4戦目の豊川さん(孝弘七段)との対局でした。この対局は、夕食休憩のときは全然ダメでしたが、たまたまうまく手がつながって勝つことができた。帰り際、靴を履こうとしていたら豊川さんが「一杯どう?」って誘ってくださったんですよ。それで飲みに行ったんですが、とても楽しかった(笑)。

――豊川先生も一緒に飲みに行ったとツイートされていましたね(笑)。対戦した方と飲みに行くのは珍しい?

高野 最近はもう、珍しいなんてもんじゃないですよ。その前にいつ行ったのか記憶にないくらい。

当日の豊川孝弘七段のツイート。楽しそう……

――ご自身から誘うことも?

高野 ないですね。若い頃は、感想戦も含めると終わるのが夜中の1時とか2時で。電車もないし、行き場もないから始発まで飲みに行きましたけど、最近は全然です。

――ではとても珍しいお酒だったと。どんな話をしたんですか?

高野 大らかな先輩ですからね(笑)。将棋の話も、関係ない話もいっぱいして楽しかった。順位戦で、このクラスにいられて良かったと思えたし、なんか気分も楽になったんですよ。