雄大は入籍後に「結愛をしつけろ」と言って優里に連日3時間も説教を始めた。抗弁すれば説教は長引いてしまい、最後は「お前のため、結愛のためなんだ」と繰り返された。
優里の心が砕かれるのは16年11月、雄大が怒りに任せ4歳の結愛の腹を思い切り蹴り上げる。やめてと叫ぶと「かばう意味が分からない」と言い募った。
「男の前で股広げる女にしたいのか」
その後、同年12月と翌17年3月に2度、結愛は行政に保護される。その頃、耐えきれなくなった優里は勇気を振り絞って「やりすぎだ」と言ったが、雄大はやり込めた。
「お前のようになっていいのか。バカで男に利用されて捨てられて男の前で股広げる女にしたいのか」
歯を食いしばるだけで、優里はあがらうことができない。そして結愛を苦しめている辛さを紛らわせるため自傷行為や過食嘔吐を繰り返すようになる。精神科医の診察も受けたが服用する下剤の量を聞かれただけで「もっと苦しんでいる人はいる」と言われ、自分の努力が足りないのだ、と考えるに至る。
〈どうせ私はマイナス100の人間だ。いくら頑張ったって何の取り柄もないゼロの人にすらなれない。彼はよく言っていた。
「まわりで楽しそうに生き生きしている主婦とお前は違う。あの人たちは陰で努力をしているからこそ、表で余裕のある振る舞いができているんだ。みんな楽しているように見えて苦労している。お前はマイナス100の人間なんだから、少し頑張ったくらいで調子に乗るな。勘違いするなよ」〉
そして結愛ちゃんは亡くなった
東京で暮らし始めて1か月、結愛の面倒は雄大が見ると決められ、一日のうち母娘がいたわりあえるのは朝の数時間のみだった。そして優里が見ていないところで行われた雄大の暴行で結愛の体調は急変する。死に至る数日前、一時だけ結愛の求めでそのそばに近寄ることを許された。その時の手記。
〈私は嬉しくて、すぐ結愛のそばに行ったよ。そして手をさすったよね。その時に腕に赤い斑点があった。これなんだろうって、すぐにスマホで調べた。そしたら、高齢者によく出る、栄養失調の斑点に似ていた。もう食事を戻すようになっていたんだから、早く病院に連れて行かなければならない。でも、そうか栄養失調か、と原因がわかったらそれで終わってしまった。本当に私どうかしている〉
雄大には病院へ行かないのとは聞いたが、痣が消えたらなと拒まれると何も言えなかった。こうして、結愛は亡くなった。