アメリカ、イギリスの新聞特派員も賞賛
2月26日付大毎夕刊は、ジャーナリスト・徳富蘇峰の「廟行鎮攻撃の三勇士」と題した文章を掲載した。
日清、日露戦争から月日がたち、「日本軍隊の面目を実現することは望み難からん」と嘆いていたが、「日本国民の君国に殉ずる大精神は、万丈の狼煙(のろし)台のごとく、屹然として東洋の一角にそびえて世界の驚嘆を博しつつある」と記述。3人の名前を挙げ「各位のごとき忠勇義烈なる同胞をわが軍隊の中に持つことは、真にわれらをして人意を強うせしむるものがある」と絶賛した。
2月27日付大朝朝刊の社説「日本精神の極致 三勇士の忠烈」も、日露戦争時の旅順港閉塞作戦で戦死した廣瀬武夫海軍中佐と並べて「真に生きながらの軍神、大和魂の権化、鬼神をして感動せしめ、懦夫(気の弱い男性)をして起(た)たしめる超人的行動と言わねばならぬ」と褒めたたえ、さらに2月26日付東朝・大朝朝刊は「外国記者はかく見る」の見出しで、アメリカ、イギリスの新聞特派員が「日本精神の極致の発露」「死に対する敢然たる態度」などと賞賛したコメントを載せている。
2月27日付東朝・大朝夕刊は、3人の2階級特進を「従来の慣例を破り 三勇士を伍長に昇進 空前の恩賞に浴せしむ」(見出し)と報道。
「昭和天皇実録」の同年2月26日の項には「午前、侍従武官川岸文三郎に謁を賜い、上海の戦況を御聴取になる。川岸より、二月二十二日混成第二十四旅団の廟行鎮付近敵陣攻撃に際しては、工兵三名の自爆攻撃による突撃路を以て旅団突撃奏功の端緒を開いたこと等につき奏上を受けられる」と記述されている。
「映画化すれば観客は来る」巻き起こった爆弾三勇士ブーム
「美談の原型」は、にわかに巻き起こった爆弾三勇士ブームを「一種の興奮状態が日本を覆った」と表現している。2月27日付東朝朝刊は「近代戦史を飾る肉弾三勇士の殊勲は全国民を極度に興奮させているが、この鬼神を泣かしめた悲壮な戦死が少国民の胸にどんな反響を与えたか」と言う書き出し。修身の時間に「忠勇」と題して教師から三勇士の話を聞いた東京・日比谷小学校2年生の感想文の一部を載せている。
「三勇士のえらい心がけで日本中が助かった」「日本人がつくづくえらいと思います」「僕も大きくなったらちゅうぎをつくします」。
感想文はまとめて荒木陸相に提出されたという。
東日・大毎朝刊は「廟行鎮における爆弾三勇士の壮烈な戦死は各方面に愛国的興奮の大渦を巻き起こしているが、映画界もこれによって非常なショックを受け、松竹、日活、東活、新興キネマの4社は期せずして一斉にその映画化を企て、三勇士の面影を銀幕を通して全国民に伝えることとなった」と報じた。
清水晶「戦争と映画」は6本の「三勇士映画」を挙げている。
「忠魂肉弾三勇士」(河合映画、根岸東一郎ら監督)、「肉弾三勇士」(新興キネマ、石川聖二監督)、「忠烈肉弾三勇士」(東活、古海卓二監督)、「爆弾三勇士」(日活太秦、木藤茂監督)、「昭和軍神 肉弾三勇士」(福井映画、福井信三郎監督)、「昭和の軍神 爆弾三勇士」(赤沢映画、赤沢大助監督)。うち4本は、新聞の第一報から10日余りの3月3日封切り。
当時のキネマ旬報は「忠烈肉弾三勇士」の評で、「肉弾三勇士の映画化というだけで観客は来る。事実、この映画も各社の同映画と相並んで多大の客を収集している」と書いている。