憲兵が私をジロッとにらんで……
「麻布の十番倶楽部という寄席に出たときでした。その近くは(歩兵第)一連隊があり三連隊がありの兵隊町でしたから、憲兵がウントコサいる。それで私が高座に出ると、憲兵がゾロリとニラミをきかせるためにやってくる。
するてえと、お巡りさんも負けじとやってきて臨監席(劇場、寄席などで警官が監視する席)へゾロリ。お客さんはてえと、憲兵の顔が見えるものだから『兵隊、兵隊もの』と声をかける。ところが、私の兵隊落語てえものは、さきにお話しした兵隊劇をまとめたものですから、いろんなことを言います。一番最初から兵隊検査のところで、
「おい、山下、おまえは甲種合格だぞ」
「えっ、合格? しまった」
「なに、しまった?」
「いえ、家の表のカギは締めてきたはずで…」
「……軍人になれてうれしかろう……」
「あーン、う、れ、し、い……」
「なんだ、おまえ、泣いとるのか?」
「はい、うれし泣きです……」
てえところがあるんですが、そのたんびに憲兵が私をジロッとにらんじゃあ“こんちきしょう”てえ顔をする。お巡りさんの方はてえと、もし、なんとか言いやがったらてんで、憲兵の方をにらみつけている。そんなわけで、この両方がにらみ合ったまんま4日間も続いたから、お客さんはもう私の方を見ないで『兵隊、兵隊もの』と高座にどなっちゃあ後ろを向いて、そっちの方ばかり面白がっているじゃありませんか」(「泣き笑い五十年」)。
「たった一人の落語家に警官と憲兵が4人付く」
次の寄席へ行くと、憲兵がオートバイで追いかけ、警官も車で後をついてきたという。
別の自著「あまたれ人生」は七五調でややニュアンスが違う。「憲兵隊から出頭せよとのお達しで、ビクビク顔で行ったらば、この節、兵隊落語や漫才を兵隊服でやってるが、けしからんのは呼び出して、聞けば、金語楼のをヒントにしてと皆言うので、当分は少し遠慮をしておくれ」。その後の憲兵と警官のにらみ合いの場面はほぼ同じで「時節時節と言いながら、たった一人の落語家に警と兵が4人付く」と書いている。
この件については憲兵隊側の記録が見つからず、正確なことは分からない。ただ、憲兵の機関誌「軍事警察雑誌」の同年6月号の「雑録」にこんな記事が載っている。
「兵隊落語で有名な 柳家金語楼を訪ふ(う)の記」。筆者は「HY生」とあり、おそらく編集部の人間だろう。金語楼事務所の2階に招き上げられ、こんな会話を交わした。
「兵隊さん落語、すばらしい評判ですね。あれは師匠のご体験なんですか」「どこまでが体験で、どこまでが落語ということははっきりしませんが、私も軍隊生活をしましてね……」
その後、金語楼は興味深いことを言う。