小僧たちの要求は「われわれを『どん』付けで呼ばないこと」
「一方、巖松堂は全部小僧さんばかりの罷業。しかも数日前、店員の1人が小僧の1人を殴りつけたことから、少女店員6名を加えた42名が13日早朝からピタリと姿を消し、一同裏手の寄宿舎に集まって協議をこらし、午後2時、波多野社長のもとに左のような要求を出したのである」(同記事)。その要求は、本人たちは真剣だったのだろうが、現代の視点から見ると、驚いたり笑ってしまったりするものもある。
▽小店員を無実の罪で殴った中道、今泉を解雇すること
▽われわれを「どん」付けで呼ばないこと
▽寄宿舎の改善、玄米飯を食わせざること、畳1畳に1人ではなく2畳にすること
▽8時間制によること
▽休日を月3回にすること
▽積立金制度廃止、小店員の初給12円(従来の積立金を含む)とし、事務員は食事抜き60円以上
▽この件で犠牲者を出さざること
巖松堂は古書が中心の書店で、「42名は陳列、古書仕入れ、出版、外交、通信販売、製本の各部の者で、下働きを失った店は混雑を極めている」と東京朝日の記事は書いているが、さらにこう続けている。
「何かにつけてなぐるのです」環境は劣悪だった
「この方には、出版俸給者組合その他数組合が応援し、寄宿舎に閉じこもった少年らは、うどんかけに腹をつくり、『少年倶楽部』の奪い合いをしながら争議気分を見せていた」。記事には戸を閉めた岩波書店とともに、巖松堂の「小僧」たちの写真も載っているが、確かに何人かはどんぶりを持っている。
「少年倶楽部」は講談社発行で当時最大の部数を誇る少年雑誌。前年の1927年からは佐藤紅緑(サトウ・ハチロー、佐藤愛子の父)の小説「あゝ玉杯に花うけて」を、3年後の1931年には田河水泡の漫画「のらくろ」を連載して人気を集めた。
「なぐられるのが辛(つら)い」という「巖松堂の小僧さん談」もある。「何かにつけてなぐるのです。そしてご飯は玄米で腹を悪くしたり、お菜などは話になりません。お店では1円の古本を何十円もで売ったり、とても不正なことをしているくせに、朝から夜遅くまでこき使って1カ月大人のたばこ代にもなりません」「丁稚を見る目でわれわれを見るのです。」
対する巖松堂・藤田重役の話もある。
「子どもをなぐることはいけないことで、十分に戒めはするが、解雇することもできない。玄米は脚気予防のためなのだが、望むなら改めてもよい。無理のない希望や要求だから、できるだけ早く解決するつもりだが、なにぶん、彼らばかりの意志ではないのだから困っている」。組合の支援のことを指しているのだろう。