午前2時まで働いても、たったの月給5100円
この日の東京朝日の紙面で最も興味深いのは「昔の丁稚制度を破る それが目的」が見出しの「岩波の店員語る」という記事だろう。
「店の内部は昔のお仕着せ時代を一歩も離れず、丁稚を見る目でわれわれを見るのです。岩波の美名の下に大学出の者が40円のお布施であったり、夜学を条件に雇った小店員に、机は発送箱に紙を張った物をあてがい、午前2時ごろまで酷使する。それで最低が3円です。主人に言えば支配人に任してあると言い、支配人は主人の差し金だと言う。われわれは一種の封建制度破壊の決心で、あくまでも制度改善を要求します」
内容からみて、「小僧」以外の大学出でない主謀者のようだが、ここからいろいろなことが分かる。当時の3円は2017年換算で約5100円。彼の言う通りなら、いくら住み込みで家賃や食事代がタダだといっても、ひどい待遇だろう。大学卒業者が40円(同約6万8000円)だとすると、それさえも十分かどうか分からないが、格差は甚だしい。
「惜櫟荘主人」には事件に至る段階のことが書かれている。
「新しい人がさらに多く入って来た。今までは小学校を卒業した者が大部分であったが、このころは、小店員を除いてはほとんど学校出であった」
「去年の終わりころから夜業が多かったり、仕事が激しかったりすることについて、誰からともなく不平が起きていた。給料も比較的安かった。古くからいて先生(岩波茂雄店主)の気持ちや態度を知っているものは、忙しければ忙しいままに平気で働いていたが、最近入った人たちはそうはいかない」
「私はたびたび先生に進言していた。丁稚制度はやめなければいけない。給料の改定についても考慮した方がいい。また、夜業など多くしたときには少しでもそれを認めるように金を出した方がよい」
「実に頼りなく危なっかしいという感じがする」
事件に最も詳しいと思われる紅野謙介「物語岩波書店百年史」も「徒弟制による少年店員たちが一定数、雇用されていた。さらに、出版点数の増加に伴い、次々と中途採用の成人店員も増えていた。日々夜業が続き、少年店員が夜学に通えるという約束も果たされないままの状態が過ぎていた」と書いている。
「岩波茂雄伝」もこの点は岩波本人に批判的だ。
「実に優柔不断で、無用に争議団に同情したり、自分は以前から店員の待遇改善を考えていて、堤(支配人)にそれを言ったのに堤が反対したのだというようなことを、後までくどくどとぐちったりして」「実に頼りなく危なっかしいという感じがする」
「物語岩波書店百年史」は「この事件については、異なる立場からの複数の情報が錯綜している」と言う。要求書の内容だけでなく、争議の経緯にもいろいろ記述に違いがある。
親しい友人だった安倍や、岩波を「恩人」と呼ぶ小林の著書は当然岩波書店寄りだし、労使交渉に記者が立ち会ったともいわれる東京朝日は争議団側に近かった。さらに、同書が引用するのが、野依秀市主宰の雑誌「実業之世界」1928年5月号の「小店員中心に依って起こされたる岩波書店争議の赤裸々記」という記事。「岩波茂雄伝」は「争議側の筆と覚しい虚構の多い誇張的記事」と批判している。