2019年度は豊島将之の年だったと言ってよいだろう。八大タイトル戦の4つに登場し、竜王・名人の大二冠を保持。一般棋戦でも銀河戦で優勝している。年度末には叡王戦の挑戦権も獲得し、新年度からは名人戦とのダブルタイトル戦が決まっている。

 その一方、弟子の活躍を見届ける形で、一人の名棋士の現役生活が終わろうとしている。豊島の師匠である桐山清澄九段だ。今年の10月に73歳を迎える桐山は、第78期順位戦C級2組で、武運つたなく3度目の降級点を喫し、長きに渡る順位戦生活の幕を閉じた。残る棋戦に敗れると、正式に現役引退が決まる。

 50年以上となる現役生活など、棋士人生について語ってもらった。

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©平松市聖/文藝春秋

升田先生との偶然の出会いがきっかけだった

――最後となる順位戦の対局、お疲れ様でした。

桐山 これで最後かと思うと一抹の寂しさはありましたね。覚悟はしていましたが、もうちょっと続けたかったので、そういう意味では残念です。

――改めて、桐山先生の将棋人生についてお伺いしたく思います。まず、将棋を覚えたきっかけを教えていただけますか。

桐山 これがわからないんですよ。親父が将棋好きで、私が棋士を目指すことも賛成してくれましたが、父から教わったという記憶はないです。祖父には手作りの将棋盤を作ってもらいましたが……。当時はいわゆる縁台将棋があちこちで指されていたので、それをみているうちに、自然と覚えたのかもしれませんね。

――小学生の頃、升田幸三実力制第四代名人の内弟子になられたそうですね。

桐山 私の故郷(奈良県)の隣町に升田先生の奥様の実家がありまして、そこに先生が避暑に来ていた時に、偶然出会ったのがきっかけです。その出会いがなければ、棋士にはなっていなかったでしょうね。

すでに順位戦C級2組からの陥落が決まっていた2月6日の近藤正和六段戦で、通算994勝目を挙げた ©相崎修司

どれほど弱かったんだか(笑)

――故郷を離れて、東京での内弟子生活となりましたが、ホームシックにかかられたと聞きました。

桐山 東京にいたのは小学4年の数ヵ月ですが、奨励会ではなく、初等科という今の研修会のようなところに入っていました。まだまだ弱くて、最初にスタートしたのが38級だったか36級だったかというくらいです。今だと、まったくの初心者でも15級と言われるくらいですから、どれほど弱かったんだか(笑)。

――当時の初等科には、どのような方がいらっしゃったのでしょうか。

桐山 本当に子供ばかりでしたね。間もなく奨励会に入ろうとしていたのが安恵さん(照剛八段)、米長さん(邦雄永世棋聖)、中原さん(誠十六世名人)。中原さんと私は同学年ですが、対戦はなかったはずです。私は初等科を割とすぐにやめましたからね。あと、奨励会入りは少し遅かったですが、蛸島さん(彰子女流六段)もいました。

©平松市聖/文藝春秋

――初等科を退会されてから、再び奨励会を目指すきっかけとは?

桐山 実は、初等科をやめたあと、すぐには故郷に戻らなかったんです。東京へ出るときに「天下の升田幸三の内弟子になる」と送り出してもらったので、たった数ヵ月では帰りにくかったんですね(笑)。大阪のおばのもとに1年ほどおりまして。当時はただの素人として難波の将棋道場に通っていました。