志村がいかりや長介のもとに弟子入りを志願したのは高校3年生の2月のこと。その前後のことを、前出のAさんは次のように語った。
「卒業間近にドリフターズの付き人をすることになって、担任の先生に進路の相談を熱心にしていました。先生は『好きなことをやれ』ってタイプだったから、志村くんの背を押したんじゃないかな。だから卒業アルバムにも、実はあまり写ってないんです」
卒業式の帰り道、別れ際の一言
今野さんは、卒業式の帰り道でのやりとりが忘れられないと回想する。
「3年間、彼と一緒に歩いた帰り道をこの日も2人で辿っていました。いつも駅への分かれ道で解散していたのですが、卒業式の日は別れ際に感慨深くなって、『頑張れよな』って声をかけたんです。そしたら彼は、『5年たったらな!』って返事をしたんですよ。それから5年後、本当にマックボンボンというコンビでテレビに出てきたときには、ビックリすると同時に『あいつやったんだな』と胸が熱くなりました」
卒業後、活躍を続けて志村がスターへの階段を駆け上がっていくなかで、「志村くんには会いたいけど別の世界の人になっちゃった気がした」(Aさん)と、少しずつ疎遠になっていく同級生もいたという。今野さんも「最後に語り合った日はもう30年以上前です」という。今野氏は志村との“最後の夜”についてこう語った。
「卒業して数年後、少し落ち着いた頃から、『これからちょっと実家寄っていくから、お前もどうか』といった具合で志村がポツポツと電話をかけてくるようになりました。地方ロケなんかから帰るとき、電車やバスで遠回りすれば立ち寄れるんだと言っていました。
彼と話した最後の日は、もう30年以上前。いつものように電話がかかってきて、今度は向こうは車だというから、道がわからないだろうなと道路で待っていたんです。すると向こうの方から、厳ついスモークが入った窓の、でっかいアメ車がやってきた。思わず、”そのスジの人”かと思って目を合わさないようにしていたら、窓が下がって『おい、おい!』と、聞き覚えのある声がする。目を向けると志村がいました。思わず『なんて車乗ってるんだ!』と笑ってしまいました。本人は、こういうガッチリした車じゃないと防犯上危ないんだ、と言っていましたけどね。運転手付きの車でしたが酒も飲まず、そのまま20時から深夜2時まで、話し込みました」