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 高校時代の思い出話に花を咲かせる中、志村は芸能界の第一線で活躍する苦労も漏らしていた。

ザ・ドリフターズ ©文藝春秋

最後の夜に志村が漏らした弱音

「『しんどい』っていう話、愚痴が多かったですね。ボーヤ(付き人)のときには稼げなくて、ドリフターズのメンバーが食べ残したラーメンを集めてすすったんだとか、毎週必ずギャグを仕込まないといけないからそれが本当に大変なんだとか。そういえば、高校卒業後しばらくして、巡業帰りででっかいズタ袋を背負って、眉間にしわを寄せてヘトヘトになった志村とばったり街で会ったことがあるんです。当時は相当な苦労があったんだと思います。

 ちゃんと話し込んだのは、あの夜が最後でした。その後もテレビ番組のドッキリや、同級生を出す番組で関わることもありましたが、もうあのとおりの大御所ですから、二言三言、会話するだけでしたね」

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 携帯電話もない時代。志村が気になってはいても、「最近どうだ」と手紙を書くのも気恥ずかしかったという今野さん。しかし「どうにか理由をつけてせめてもう一度でも会っていればよかった」と後悔を口にした。

卒業アルバム用に撮影された集合写真に写る志村。他の生徒がシャツとネクタイを着用するなか、志村だけはタートルネックを着ていた

「志村けんという人間は、高校のときから変わっていない」

「こうやって話しているとついつい、あの頃のことを思い出して、『せめてもうちょっといて欲しかった』と思ってしまいます。テレビの中でギャグを披露している志村を見ていても、僕にとっては志村はあの頃の、高校生のままなんです。

 彼は人を笑わせることが本当に好きで、だからこそ辛いことも乗り越えて有名になっていった。自分の好きなことで日本中に知ってもらうなんて、誰にでも出来ることではありません。年齢を重ねるとますますそれを感じるようになって、尊敬していました。ちょっと女癖は悪いかも知れないけど(笑)、でも、みんなに慕われる。それはずっと変わっていません。

 だからこそ、いま”向こう”で彼にあったら『もう、なにやってんだよ』って、昔みたいにいってやりたいですね……」

 延期になった東京オリンピック。本来は、志村けんが聖火ランナーとして東村山を走る予定だった。スタート地点候補として考えられていたのは、あの「志村けんの木」。取材したこの日、「志村けんの木」の隣にある献花台には、人の列が絶えることはなかった。

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