「人間精力の純粋な浪費であり、その追求する目的が何にもならぬという意味で完全に無価値なところにスポーツの価値があるといっていい」と規定。それが「人生にしろ社会にしろ天下国家にしろ、それらのものにとっていかに重要であり有益であり有意義であろうとも、いやしくもそういうものの考慮がひとたび入ってくると、スポーツはその瞬間から単なるスポーツではなくなってしまう」とした。
「オリンピックは国際政治の舞台」
オリンピックをめぐる現状については「オリンピックはスポーツの舞台ではなくて、それ以上に国際政治の舞台だということが含まれている。オリンピック参加の目的は、幅跳びの広さにおいて、高跳びの高さにおいて……他国に勝つことではなくて……少なくとも勝つことだけではなくて……世界列国をして国家の実力と国民の偉大さを承認させ、国威を宣揚し、国際的地位を高めることにあるのだから、『東京オリンピックの実現にこぎつけて日本の国際的地位を高めた平和の勇士』は、例えば日本海海戦に敵艦を追い詰めて日本の国際的地位を一段と高めた戦場の勇士と本質においては違ったところはない」。現在のオリンピックにも通じる指摘だろう。
「武道精神」か「スポーツ精神」か
IOC委員である嘉納治五郎と副島道正の間でも大会の構想で違いが目立っていた。「嘉納は東京オリンピックを国家的大事業と捉え、組織委員会も体協や東京市だけでなく、各界を網羅した構成にする必要があると主張していた。東京オリンピックは単にスポーツ競技のみの大会ではなく、日本の文化や精神を各国の人々に理解させ、国民精神の作興に役立つものでなければならぬ、というのが嘉納の信念だった」と「幻の東京オリンピック」は述べる。
嘉納は講演や雑誌に寄稿した文章でも「日本精神をも吹き込んで、欧米のオリンピックを世界のオリンピックにしたいと思った。それには自分一代で達成することができなかったら、次の時代に受け継いでもらう。長い間かかってもよいから、オリンピック精神と武道精神とを渾然と一致させたいと願ったのである」「この第12回大会を、大過なく遂行することによって、いよいよわが国運は発展することと確信しています」と強調している(「嘉納治五郎大系第8巻」)。
これに対し「親英米派の自由主義者だった副島は、ナチスの影響が強かったベルリン大会をよしとせず、国家主義を排し、スポーツ精神に立脚した東京オリンピックを脳裏に描いていた。組織委員会も大日本体育協会が中心となって結成すべしと強調していたのである」(「幻の東京オリンピック」)。