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軍を巻き込むことは不可欠だった

 1936年12月17日付東京日日朝刊は「広義国防の観点から オリムピックを援助 陸軍の意向漸次動く」の見出しで、大会運営を所管する文部省(当時)が組織委の委員に梅津美治郎・陸軍次官の就任を要請し、体協の理事らが陸軍省新聞班の将校らと意見交換したことを報じている。梅津次官は陸軍統制派の中心人物の1人で、のちに参謀総長を務める。オリンピックを「挙国一致」で開催するためには軍部を巻き込むことが不可欠と判断したのだろう。

 その結果、12月19日に開かれた会議で梅津次官の委員就任が決定。12月20日付東京朝日朝刊には「オリンピック大会は挙国一致で立派に行う必要がある。関係者が熱望されるとあれば、その意味でお引き受けし、陸軍としても極力援助しよう」との梅津次官の談話が載っている。

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重い問題としてついて回った「予算」

 さらには予算の問題もあった。メーンスタジアムと各競技会場、選手村などの施設のほか、周辺道路の整備も必要だった。「東京百年史」によれば、施設費として1213万円、道路修築費として1080万円、合計約2300万円の予算が計上された。2017年の貨幣価値に換算すると、約458億3000万円にも上る。

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 東京朝日の座談会最終回で「招致段階では1500万円だった」との指摘に嘉納は「私はそれにあまり重きを置いておらぬ」と断言。「予算の取り方は将来新たに考えなければならぬ問題ではないか」と語るにとどまっている。同年12月28日付東京朝日の「東京オリムピック 予算の問題」という記事では「議会に上程される予算の形式はオリムピック補助費として文部省から提出されるが、5カ年分割500万円で、初年度124万円を計上されている」としている。1500万円は2017年換算で約298億9000万円、500万円は同99億6000万円。実際はとてもそれで収まらず、資金の手当ては重い問題としてついて回った。

#2へ続く