国語便覧で知った自由律俳句という世界
又吉 僕はもう、せきしろさんです。せきしろさんに教えてもらって。国語便覧って、教科書の副読本が中高生の頃にあったじゃないですか。そこに、種田山頭火の自由律が載ってたと思うんです。
俵 「分け入っても分け入っても青い山」とか。
又吉 そうです。でも、それが自由律俳句だというのは当時はわかってなかった。で、1冊目の『カキフライが無いなら来なかった』を出す1年ぐらい前、ですよね?
せきしろ そう、2008年。
又吉 その頃、せきしろさんと仲良うなって、自由律俳句というものがあるから一緒に作ろうと。小説やエッセイを書き始めるずっと前のことなんです。
せきしろ 僕も国語便覧で尾崎放哉を知ったのが最初だったんです。
俵 「咳をしても一人」?
せきしろ そうです。「墓のうらに廻る」とか。ああ、こういうのも俳句なんだなって。でも、その後だいぶ経ってからでした、その面白さに気づいたのは。
俵 じゃあ、最初はせきしろさんは一人で自由律を作ってたんだ。
せきしろ 日々、浮かんだことをメモする程度でしたけど。で、たまたま吉本の劇場で又吉君を観て、この人は自由律に向いてるなと。それこそ、言葉の前後左右を想像させるギャグをやってたんで、一緒にやったら面白いだろうなと思ったんです。で、自由律をやろうって話で盛り上がって一緒に飲んで。家に帰って寝て起きたら、又吉君から100個ぐらいメールに届いていたという(笑)。
俵 すごい!
又吉 僕も1行ぐらいで何か言いたいというのはもともとあったし、書き留めてもいたんで、こういうのを俳句といってもいいんやったら、これもある、あれもあると。思いついても漫才にするには地味やし、コントのシチュエーションにもなりにくい、でも、自分の中では、なんか気になる、捨てられへん、そういうのを俳句として出せるのがうれしかったんです。
俵 それが短詩型の強みであり、喜びなんですよね。俳句や短歌を自分の表現手段のひとつとして持っていると、あっと思ったときに一応立ち止まってみる習慣が身につくというのかな。私も歌を作っていていちばん良かったと思うことはそれ。思いっぱなしにしない自分でいられるんです。