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「店員同士の絆が凄いことはわかった」又吉直樹×せきしろ×俵万智による自由律俳句のすゝめ《文春オンライン特別版》

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言葉の前後左右の物語を感じ取る

 今回、ゲラで見せてもらって、せきしろさんが推敲された跡があったのが興味深かったんです。例えば、「シャッターをおろすハイヒールの女」。最後の「の女」を消して「シャッターをおろすハイヒール」としているんです。やっぱり、「女」まで言うと限定されるからかなと思ったんです。「ハイヒール」で止めるほうが、主がどんな人なのか、ゲイバーのママかもしれないと想像が広がるし。

(c)Atsushi Hashimoto

せきしろ まさしくその通りで、説明しすぎるなと思ったんです。

 一方、又吉さんの「店員同士の絆が凄いことはわかった」は、ここまで言わないと面白さがない。「店員同士の絆が凄い」で止めるのもあり得るけれど、「ことはわかった」を入れることで、絆以外はいまいちという含みが出てくる。

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又吉 とある居酒屋なんですが、ご飯食べてるときはもう少し静かにしてほしいと思ってたら、そこは新人が研修する店やったんです。それはしゃあないなと(笑)。

せきしろ×又吉直樹『蕎麦湯が来ない
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 その、トゥーマッチな感じが最後の一言から伝わってくるから、これがあるとないとでは全然違う。あと、せきしろさんの「隣は碁の本を読んでいる」。私も電車で隣の人の読んでる本が気になって短歌を作ったことがあるんです。「隣席に『上司が壊す職場』読むこの男性は上司か部下か」。「上司か部下か」というのは短歌のスペースがあるから言えることだと思っていて。短歌は切り取りだけじゃなく、自分の思いを入れるのに向いてるんです。でも、せきしろさんは、隣がおじいかおばあか、それを自分がどう思ったのかは入れない。俳句と短歌の境目ってこういうところなのかなって。

せきしろ 客観的な視点が好きというのもあって。僕はそれを見ている、それに対する思いはあまり入れないようにしたいというか。

 塩梅ですよね。そして、これはホントに好きなんだけど、せきしろさんの「蝶か蛾か蝶か蛾だ」。効率良く伝えるだけなら「蝶か蛾だ」でいい。でも「蝶か蛾か」を足すことで、蝶なんか? 蛾なんか? という思考の行ったり来たりをうかがえる。言葉には行間や含みがあるということを、この本では体感できるんですよね。