自由律俳句とは季語や五七五の韻律に縛られることなく詠む俳句のこと——。文筆家のせきしろさんと芸人で作家の又吉直樹さんが2009年からコラボレーションを始めた自由律俳句集も、最新作『蕎麦湯が来ない』でシリーズ3作目に。今回は発売を記念し、歌人の俵万智さんと銀座の街へ。自由律俳句の魅力を語り合いながら、即興で詠んでいただきました。「週刊文春WOMAN」2020春号の記事に未収録分を大幅に加筆した、文春オンライン特別版です。

左から、せきしろ、俵万智、又吉直樹 (c)Atsushi Hashimoto

俳句は、よく写真に例えられる

 私はこのシリーズが始まって以来の応援団の1人なんですが、今回もめっちゃくちゃ面白かった。

又吉 うれしいです。

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せきしろ ありがとうございます。

 俳句は、よく写真に例えられるんです。切り取り方や遠近感が写真のようだと。有季定型の俳句には、季語と五・七・五というピシッとした額縁があるんですが、一方お二人の自由律俳句には額縁がない。写真の一部分だけ見せられているように感じるし、その先を、額縁を越えて想像させられるんです。言葉の前後左右にどんな物語があるんだろうと、そこに参加する喜びを感じるというか。だから、ひとつひとつの前で立ち止まる時間が長くなるんです。なかなかページが進まない(笑)。

『週刊文春WOMAN』2020春号

又吉 僕らもそんなふうに読んでもらいたいんです。どんどん読み飛ばされると不安になるんで。

せきしろ ページをめくって、また戻ったりしてほしいですね。

 たぶん、この本を読んだ人は、次の日から自分も作ってみたくなると思うんです。うちの息子は、このシリーズが大好きでずっと読んでいるんだけど、今回は役得で、ゲラをチラチラ見ながら一句作りました。私がお二人と会うと知って、「母がよそ行きになる」

せきしろ あはははは(笑)。

又吉 さすが息子さん。

 そもそもなぜ自由律俳句を?