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わたしの「神回」

曲は「“恋人からのプレゼント”と受け取っていた」歌手・華原朋美が自分を見つけるまで

「FNS歌謡祭2012」で歌った「I’m proud」

2020/04/30
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「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」

 かくして華原は歌手を目指すことになるとともに、小室との交際も始める。そして翌年にCDデビューし、2曲目の「I BELIEVE」でレコード大賞(今よりも価値があった時代のもの)の新人賞を受賞する。

 明けて1996年3月、「I’m proud」はリリースされる。この年は小室にとって絶頂の時だったろう。なにしろ「長者番付」では全国4位になるほどであった。このランキングは例年、株や不動産などの資産売却による高額納税者が上位に来るものだが、小室は純粋に稼ぎまくって上位となっている。そんななかで「I’m proud」はミリオンセールスを記録し、大晦日には日本レコード大賞で優秀作品賞、紅白歌合戦では小室のピアノ演奏に乗せて歌われるのだった。

 しかしながらTRF、安室奈美恵、globe、華原朋美らを擁する小室ファミリーの栄華もいつまでも続くわけではなかった。言い尽くされたことだが、宇多田ヒカルの登場でそれは終焉する。実際、小室自身も後年「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」とテレビで吐露している。

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「TK」時代の小室哲哉氏 ©getty

一時は閉鎖病棟に入ることに

 おまけに華原と小室の恋愛も破局を迎えた。そんなおりの1999年1月、華原は自宅で料理中に「ガス中毒」となり、病院に搬送される。半年後の復帰会見は、なぜか馬に乗って記者の質問に答えるという奇っ怪なスタイルで行われた。ここから先は「進ぬ!電波少年」の企画でアメリカに渡って全米デビューを目指したり、「水戸黄門」に出演したりなどするのだが、傍目には細切れで連続性を欠く活動で、迷走しているように見えた。

 おまけに芸能ニュースでは「舞台降板」「休業」「事務所との契約解除」といったトピックで定期的に取り上げられるので、藤谷美和子や石原真理子のような「プッツン・タレント」の系譜にいるように思えた。内実をいえば、ミュージカルの舞台に立つようになるが公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発しての休演・休業。そうした体調の不安定さから事務所との契約も解除となり、ついには上述のように薬物依存症となって、一時は閉鎖病棟に入ることにまでなる。

 そんなこんながあっての「FNS歌謡祭2012」だ。およそ6年ぶりにステージに立ち、その歌はたいへんな反響を呼ぶことになる。華原はこの出演依頼を浦安のイトーヨーカドーで買い物中に聞いたという。冒頭の社長との再会から数週間後のことであった。

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