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「殺人富士郎 無期確定」

 そして6月15日付東朝夕刊には「富士郎に無期懲役 老婆殺し犯行も断定されて 判決言渡しに不平面」の記事が。「罪状はまさに死刑をもって臨むべきであるが、当時被告は心神耗弱の状態にあったものと認め、特に死一等を減ずる」という判決だった。「狂人か谷口富士郎の犯罪」は予審段階での鑑定が「裁判所が富士郎を心神耗弱者と認定して、強盗殺人罪でありながら、死一等を減じ、無期懲役刑に処せられた寛大なる理由となっている」としている。

事件の最後はベタ記事だった。「無期確定」を報じる東京朝日

 これに対し、「富士郎は『いかにも解せぬ。無期なお重すぎる』といったような顔つきで立ち上がり、小首をかしげて裁判長の方を見つめていたが」と記事は書いている。同年12月5日、大審院(現在の最高裁判所)判決があり「殺人富士郎 無期確定」(見出し)。結局、富士郎の主張は認められず、余罪も「陰の女」もその後浮上することはなく、事件は過去のものとなっていた。

戦争の時代に突入する前の“あだ花”のような事件だった

「怪人二十面相」や「名探偵明智小五郎」を生み出した推理作家江戸川乱歩は、まだこの事件の予審中だった1930年に出版した「世界犯罪叢書2変態殺人篇」で、内外の犯罪事件の1つとして取り上げている。タイトルは「白面の殺人鬼」。

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 この中で乱歩はいきさつを詳しく述べたうえ、こう書いている。「変態性欲者の富士郎が秘密の逢引きを知られないために老婆を殺し、手にハンカチを巻いて指紋の残らぬように用心するあたりはいかにも近代的。老婆殺しの秘密を知る省二郎を殺し、省二郎殺しの秘密を知る新三郎を生けるしかばねとして監禁せんと図ったが、かえって身の破滅をつくるもとに。人一倍生存欲と功名心の旺盛な富士郎」。乱歩は事件を「予審中でどう判断されるか分からないが、近代的色彩を持つ変則な殺人」と位置づけている。

江戸川乱歩 ©文藝春秋

 これは本格的な戦争の時代に突入する前の“あだ花”のような特異な事件だったかもしれない。ただ、精神障害という問題を超えていくつかの側面が見える。家族関係、独居老人、精神医療、若者の刹那的な言動、そしてメディアの姿勢……。残虐な事件でありながら、どこか懐かしさのようなものが感じられるのは不思議だ。

【参考文献】
▽「警視庁史昭和前編」 警視庁史編さん委員会 1962年
▽「精神医学大事典」 講談社 1984年
▽塩見鮮一郎「貧民の帝都」 文春新書 2008年
▽「日本残酷物語現代篇第1 引き裂かれた時代」 平凡社 1960年
▽江戸川乱歩「世界犯罪叢書2変態殺人篇」 天人社 1930年