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水着グラビアに踏み切った理由とは?

 その頃、安達はドラマでは描かれていない苦悩を抱えていた。17歳のときに子役から大人の女性へとイメージチェンジを図るために初グラビアに挑戦するが、この裏でも事務所と有里氏との間で紆余曲折があったという。

母娘二人、九十九里で。安達有里氏のブログより(2015年8月15日)

「もう子どもじゃない」

「高校の堀越時代は仕事しかしてなかったんじゃないですかね。でも同じ仕事をしている友達も多かったので、いまも会っていますよ。実家にもたまに遊びに来たりします。でも、学校の帰りに遊びにはいけなかったかもしれません。当時は高校生で子役から大人の女性にイメージを変えなければいけない時期で、偶然『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったんです。

 清純派アイドルが多く所属していた事務所側は祐実の『グラビアなんて冗談じゃない』みたいな感じだったんですけど、呪文のように『大人っぽくしたい』って言っていても世の中は『家なき子』のイメージなんだから、そう簡単に大人っぽくはならないじゃないですか。『もう子どもじゃないよ』っていうのを映像や写真で見せるのが一番わかりやすいと思っていました。

 なので、私はグラビアをやったほうがいいと強く言いました。事務所の方たちは最後まで全員反対でしたが、私が押し切ってグラビアをやらしてもらいました。祐実も『海に行けば普通に水着は着るしね』って言っていたので抵抗はなかったみたいです」

 二人三脚で歩んできた母娘だったが、有里氏は突然、安達の仕事現場から姿を消した。

「子役のときに祐実は『あっ、安達祐実だ! って言われるようになりたい』って言っていたので本人が望むならと、いろいろやらせました。それから辛いことがある度に祐実に『嫌々やっていても仕方ないから、辞めたくなったらいつでも辞めていいよ』と、言ってきました。でも祐実は辞めたいと言ったことは一度もなかったですね。それから何年か経って20歳になったときに、祐実も大人になり、もう私に責任はないと思ったので仕事の現場から離れました。

 本人も私のことを煙たいと思っていた頃で、私よりも主人に仕事の話をいろいろしていましたから(笑)。私は、30歳を過ぎても芸能のお仕事がしていられれば、一生仕事をしていられるんじゃないかと思っています。そこは超えたんじゃないかと思います」