私たちはまるで母親のような気持ちでアメッドを見つめていた
――お二人の映画ではカメラはいつも人物のすぐ近くにあり、その姿を間近で追いかけ続けていますね。多くの登場人物が登場するドラマではなく、少人数の人物に寄り添う作品を作り続けるのはなぜでしょうか?
ジャン=ピエール たしかに私たちの映画は一人の主人公の動きを追っていくことが多いですね。主人公はいつも孤独の中にいて、そこからどう抜け出すのかを描いている。でも自らその方法を選んでいるというより、世の中で起きていることがそうさせると言った方がいいでしょう。それに自分たちが作れるタイプの映画を作っているだけとも言えます。この映画でアメッドは逃げ続けています。母親の手からすらも逃れ、私たちの理解を超えるところへとどんどん逃げていく。だからカメラは常に彼を追いかけ、その顔をクローズアップで映さなければならなかった。私たちはまるで母親のような気持ちでアメッドを見つめていたわけです。
――映画のラストに、実に素晴らしい瞬間が訪れますね。そこでもカメラは彼の顔や手から遠ざかることはせず、最後までじっとアメッドの近くに寄り添っています。こうしたカメラの位置や動きはどのように決められているのでしょう。
リュック 最後の転落のシーンでは、武器にしたピトン(鉄釘)を手に持ったアメッドが、その武器を使い今度は助けを呼ぼうとします。その間に数分の間がありますが、これは絶対に必要な時間でした。狂信という殻を捨て新しく生まれ変わるまでのその数分間が、アメッドには必要だったのです。そうしたことを考えたうえで、このシーンの長さやリズムを決めていきました。実際にどこにカメラを置くかは、リハーサルの段階で決める部分が大きいですね。本編に使うわけではありませんが、リハーサルでも一応全部のシーンを撮影しているので、そこで俳優たちの様子も見ながらだいたいの位置や動きを決めていきます。もちろん脚本の段階でもだいたいのことは決めているし、撮影中に変えることもあります。でもやはりリハーサルでの決定が一番大きいと思います。
Jean-Pierre & Luc Dardenne/兄ジャン=ピエール(左)は1951年に、弟リュックは1954年にベルギーで生まれる。兄弟で映画製作を始め、『ロゼッタ』と『ある子供』で二度のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞を果たす。
INFORMATION
『その手に触れるまで』
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか近日公開
http://bitters.co.jp/sonoteni/