この映画は決してイスラム教全体を非難しているわけではない
――イスラム教の過激思想に染まった移民三世の少年の物語を描くことは、とてもデリケートな問題をはらんでいますね。ステレオタイプなイメージにつながる危険性もありますし、映画の公開後、否定的な反応も寄せられたのではないでしょうか。そうした問題とはどのように向き合いましたか。
ジャン=ピエール 質問に答える前に、先ほどの話に少し詳細を付け加えておきます。アメッドはほとんど子供といえる年齢です。もしアメッドがもっと年齢の高い青年や大人であったら、この物語は成立しなかったと思います。不幸にも現実がそれを証明しているからです。こうしたテロの犯行に走った人々の多くは20歳以上で、結局彼らは後戻りすることはできなかった。子供でなければ、狂信から抜け出させることはほぼ不可能なのです。
質問についてですが、私たちはプロモーション活動とは別に、学校などで上映会をしばしば行い、そのあとに討論会をしています。ほとんどの生徒がムスリムである学校でこの映画を見せたとき、最初はやはり彼らと私たちの間に緊張感がありました。私たちがイスラム教を非難しているのではないか、自分たちを悪者扱いしているのではないかと彼らは思っていたのです。でも私たちが撮ったこの映画は決してイスラム教全体を非難しているわけではないし、一つの解釈のみを描いているにすぎません。実際に映画を見てもらうと、最初は警戒していた生徒たちもその意図をよく理解してくれたようです。様々な意見が飛び出し、とても有意義な議論が生まれました。
――劇中では、イスラム教の習慣やアメッドが収監される少年院での細かいルールも丁寧に描かれていましたが、どのようなリサーチを行ったのでしょうか。
ジャン=ピエール 私たち自身は、実際にこうした過激化した人々には会えません。彼らは刑務所に入っていますから。その代わり、私たちの知り合いに、ブリュッセルに住んでいるアルジェリア出身の警官がいて、彼やその家族からいろんな話を聞くことができた。彼は仕事柄こうした狂信化した人々にたくさん会っていたので、とても興味深い話をしてくれました。あとは自分たちでインターネットなどを使って調べたり、こうした事件を扱う判事から話を聞いたりもしました。
少年院の教育官や判事、学校の教師や心理士など、映画に登場する職業の人々すべてに会い話を聞きました。またイスラム教についても勉強が必要でした。私たちは決してイスラム教に詳しくはなかったし、コーランや儀式、体を清める禊ぎや祈りの方法など、知るべきことは山のようにありましたから。助けになってくれたのは、イスラム教の先生をしている友人です。禊ぎや祈りのシーンでは必ず現場に来てもらい、間違った描写がないか指導してもらいました。宗教に関する演出に関しては、彼の存在が何より大きかったと思います。