こうして、32歳で代表取締役になることを決意したが、記憶の中の美しく懐かしい景色とは裏腹に、小原が直面したのは目を覆いたくなる現実だった。
「代表になったらより深刻な財務状況が見えてきて。32歳でいきなり12億円の債務保証書に印鑑を押すって笑っちゃいますよね。営業すればするほど赤字状態で、まさに経営破綻の一歩手前。その後しばらくして父も他界しました。とにかく一刻も早く経営を立て直して利益を出していかないと、もう本当に手放さなければいけないという状況でした」
忙殺される日々に精神的に追い込まれ……いつの間にか失っていたもの
DJから旅館のオーナーへ。先代が亡くなり人生の師も失って路頭に迷った小原は、とにかく必死でマーケティングや経営学を独学で学んでいった。
「毎晩11時か12時ぐらいに寝て、1~2時間後に目が覚めちゃうんです。そこからまたずっと仕事をして……。大きな岩に潰される夢をしょっちゅう見たし、ストレスと不眠のせいで不整脈まで起こって。そんな生活が2、3年続きました。当時は若かったし何も考えてなかったからできたと思うんですけど、今なら体力もついていきませんし、多分首くくってると思います」
不可能にも思えた旅館の再建は、異常な仕事量の甲斐あってか、どうにか2年で赤字経営を脱することに成功した。しかし、忙殺される日々の中で小原はどんどん精神的に追い込まれていく。そして、気が付くと大事なものを失っていた。
「当時、妻が旅館の若女将を務めていたのですが、その壮絶な日々のプレッシャーと仕事量に心が折れて、娘とともに家を出ていきました。当時の私は妻のことまで気遣う精神的な余裕はありませんでしたし、自分も追い込まれていましたので『できないならしょうがない』くらいに思っていました。でも今になって思うと、あの頃はちょっとおかしかったと思います」
御船山という唯一無二の素晴らしい自然資産を遺したい
12億の借金、そして妻や娘との別離。すべてを失ってまで小原が遺したかったもの、それは175年前に当時の武雄領主・鍋島茂義が創りあげた壮大な池泉回遊式庭園。幼い頃に見た、御船山の原風景だった。
「実家の手伝いをすると決めて、28歳で帰ってきた春に、ツツジが一面バーッと満開に咲いた風景を目の当たりにして、国籍、性別、年齢も関係なく、人類共通の美意識に訴えかける『全人類の財産』だと思いました。小さい頃から見尽くした景色のはずなのに、改めて見ても本当に美しかった」
“御船山という唯一無二の素晴らしい自然資産を遺したい”という原点。それが小原の旅館経営の精神的支柱になっていく。それからさらに独学の経営メソッドを取り入れ、紅葉シーズンに300人程度だった来場者は10万人規模に激増した。