「小池百合子」を生んだ原風景
―――その本質について聞きます。政治家には政治家を志す原体験・原風景があるものですが、小池氏の場合は?
石井 彼女自身は「若い頃にエジプト留学して第四次中東戦争にまきこまれ、それが国家とはなにかを考えるきっかけになり、政治家を志した」「乗る予定だった飛行機がイスラエル軍に撃ち落とされて全員死亡した。その時から、国家にとっていかに領土を守ることが重要であるかを考えるようになった」というような話をしていますが、眉に唾して聞かなくてはなりません。
戦時下といっても、実際はカイロ市内で日常生活にそう支障はなかった。弾が飛び交うような戦場になったわけではないんです。しかし、彼女はカイロ大学では匍匐前進をならったといった、あり得ない話をする。厳しい戦争を体験した、特異な経験をした強運の持ち主だと人に信じさせたかったのでしょう。これらは彼女によって作られた幻の「原風景」ですね。
―――では、実際のところの原体験・原風景は何だと思いますか?
石井 小池さんが生まれ育った芦屋は階級差の激しいところです。家庭環境も複雑で、父親はしょっちゅう問題をおこして金銭的にも苦労が絶えない。それなのにお嬢さん学校に入られてしまった。つらかったと思います。
そうした少女時代からのいろいろなコンプレックスとか屈辱感とか、そういう前半生で味わった辛酸みたいなものがずっとあって、後半生で自分の前半生を取り戻そうとしている、あるいは自分に与えられた宿命に必死で抗っている、そういう感じがします。
ですから、そこには「自分」しかないわけです。国をどうするかとか、そういったことが動機になっているのではなくて、自分が高みにいってみんなを見下ろす存在になりたいという欲求が強くある。だから総理を目指しているとしても、実現したい政策や国家観といったものを持っているとは思えない。
マニキュアのエピソードは複数人に確認
―――阪神大震災の被災者が議員会館の小池のもとまで来たときのエピソードを思い出します。
“窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池は指にマニキュアを塗りながら応じた。一度として顔を上げることがなかった。女性たちは、小池のこの態度に驚きながらも、何とか味方になってもらおうと言葉を重ねた。ところが、小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」”(本文より)
石井 にわかに信じられない話ですが、もちろん複数の人に確認しています。そういう話は噂になって広がっていくのですから、政治家である小池さんにはなんの得にもならないと思うんです。
それでもやってしまう、やらずにいられないのは抑えがたい欲求に衝き動かされてしまうからでしょう。わざと相手に嫌な思いをさせる、ことさらに相手を傷つける、なんでそういうことをするのかなと思いますが、やはり自分が上だということを確かめたくて、そうしてしまうということなのかもしれません 。
高い地位に就いたことを、下の人を踏みつけることでしか実感できないのなら、本当に不幸な人です。 やりたい政策を実現して喜びを感じるのが政治家の本来あるべき姿だとおもいますけれども、そういうものは最初からないのではないでしょうか。