ひとりは総理夫人で、ひとりは東京都知事
―――石井さんはここ数年、小池氏について書く一方で、安倍昭恵氏についても月刊誌に書かれています。
石井 小池さんを最初に書いたのは『新潮45』で、同じ頃に月刊『文藝春秋』からは安倍昭恵さんを書かないかと話がきた。それで二人を同時に取材・執筆を進めたことで、比較しながら考えることができました。
昭恵さんはお嬢さん育ちで、安倍晋三と結婚したら夫がどんどん出世していって、気づいたらファーストレディになっていたという人です。一方小池さんは自分ひとりで男社会をのし上がっていくわけです。
ひとりは総理夫人で、ひとりは東京都知事。女性としては、それぞれ社会的には高い地位にいる、今の日本を代表する象徴的存在、それが安倍昭恵であり、小池百合子であるわけです。
戦前からの、女性解放の長い歴史を経て、建前上は男女平等だと言われるようになって、この現実をどう受け止めたらいいのか。
二人の共通点は「思いつきで周囲を振り回すこと」
―――昭恵と百合子、対照的な二人です。
石井 タイプはまったく違いますけども、周囲におよぼす破壊力では甲乙つけがたい。昭恵さんは無意識のうちに周囲をまきこんで、自殺者が出るような事態をつくってしまう。小池さんは意志を持って報復したり、人を陥れる。
二人にはあまり共通点はないのですが、ひとつだけ似たところがあります。それは、空虚さです。地に足がついておらず、深い考えなく、思い付きでやりたいことをする、その結果、周囲は振り回される。
昔から言われるのが「女は社長夫人になるのが幸せか、女社長になるのが幸せか」。昭恵さんは前者で、小池さんは後者です。しかし、昭恵さんのようになりたい、とも、小池さんのようになりたい、とも若い女性たちは思わないのではないでしょうか。
―――『女帝』を読むと、小池氏は女性の人気を得ようと私生活を売りものにします。
石井 小池さんは、常に自分をどう宣伝するか、と頭の中で考えて生きている。自分の身になにかが起きたり、自分の周辺になにかが起きたりすると、真っ先にどうすればそれを自己宣伝にできるかを考えてしまう。これは小池さんの性(さが)です。
自分の身内が亡くなっても、自分が病になっても、家を建てるというときも、まず、どうやったらマスコミに取り上げられるかを考えてしまう。不幸なことだと思います。