「お金をあげるから事務所に来なさい」挺対協の妨害

 武藤氏はその後、遺族会に話を持ち掛けました。梁氏から相談された私は「当然、やるべきだ」と即答しました。

 調査は龍山(ヨンサン)にある遺族会の事務所で行われました。私も急遽、ソウル入りして遺族会の手伝いをすることになりました。

 龍山は軍の街で、当時は戦争の名残を色濃く残した街でした。駅前には軍人用の集合広場があり、事務所裏には赤線地帯が広がっていました。

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 7月26日から30日までの5日間で調査は行われました。金学順さんや金田きみ子さんを始めとする16名の元慰安婦が参加しました。

 挺対協は「日本政府の真相調査を受けるな!」とピケを張り、反対デモを行っていました。調査が終盤に入ったある日、ハルモニから挺対協が更に悪質な妨害工作を行っていることを聞きました。

「ハルモニたちに挺対協から『お金をあげるから事務所に来なさい』と連絡があり集められた。『250万ウォンあげるから、日本政府の調査に協力しないと誓約書を書け』という話だった。でも、私は話を聞いて欲しいからここに来た」

 現在、李容洙氏の告発をきっかけに挺対協が元慰安婦を利用し金儲けをしていたという疑惑が浮上しています。疑惑への反論の一環で、挺対協が李容洙氏へお金を払っていると主張したことがありました。公開された古びた領収書のうちの一枚が93年のものでした。李容洙氏は調査に参加していません。まさに、当時口封じのために挺対協が配ったカネの領収書だと私はピンと来ました。

被害実態の調査なくして、補償の話は成立しない

 この調査を受けて、93年 8月、河野官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」、いわゆる河野談話を発表しました。

 梁氏はこの調査に意義を感じ、日本政府側に「今後も調査を継続して行うよう」とお願いして、私も立ち会って日本政府側に調査継続の誓約書を書いて貰うことにしました。しかし、直後に日本で政権交代が起き、話は宙に浮いてしまう。残念なことにこの調査は、最初で最後の日本政府による慰安婦調査となってしまったのです――。

 私は基本的に被害実態の調査なくして、補償の話は成立しないと考えています。

 例えば交通事故はどうでしょう。被害を受けた本人の申告だけでは、保険から賠償はされませんよね。審査が入り被害実態が確認された上で、賠償額が決められます。戦後補償問題も実態調査をしたうえで補償することが望ましい。

 挺対協は「加害者が被害者を調査するとは何事か」と主張します。でも、その問題がウソか本当かも分からないのに、どう償えばいいというのでしょうか? 慰安婦問題の捻じれてしまった大きな要因は、挺対協が日本の実態調査を妨害し続けたことにあると私は考えています。

(#4「『性奴隷』という言葉を“良し”とする元慰安婦はいない」支援30年の日本人が見た挺対協の仕打ちを読む)

(インタビュー・赤石晋一郎)

<引用出典>勝山泰佑「海渡る恨」(韓国・汎友社、1995年)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。