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償い金を受け取った元慰安婦の住所を公開した挺対協

 問題はその後でした。金田さんの自宅にマスコミが殺到しました。記者は口々に「なんで日本の金を受け取ったんだ」と彼女を糾弾した。金田さんが心配になり、彼女の自宅にいた私は、記者に向かって「首相の手紙を写せ!」と言い返しました。それが報道されたかはわかりません。

 記者が殺到したのは、挺対協が償い金を受け取った元慰安婦の名前と住所を公開していたからでした。金田さんは韓国名を非公開としていましたが、挺対協は実名も明かした。酷い話です。

「日本から金を貰ったら娼婦だと認めたことになる」

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 挺対協はこう批判を繰り返しました。罵倒するだけではなく、脅迫電話をかける、「母の日」等の元慰安婦が参加する公式行事の招待メンバーから外す、名簿から名前を外す等――。彼女らは、最初にアジア女性基金から償い金を受け取った7人の元慰安婦を苛め抜いたのです。

元慰安婦に償い金の返還を迫る〈覚書〉

 それだけではありません。アジア女性基金を潰すための工作も同時に始めていました。

 ここに〈覚書〉と書かれた一枚の書類があります。

 これは挺対協が元慰安婦にアジア女性基金からの償い金を返金するよう書かせたものです。内容は次のようなものです。

「覚書」(臼杵敬子氏提供)

〈上記本人は大韓民国政府が日帝下日本軍慰安婦被害者の生活安定のため支給する支援金・3500万ウォンを受領するため、アジア女性基金からすでに受領した一時金(3600万ウォン)を、挺対協を通じて日本側に返還することに同意します〉

 韓国政府は挺対協と連携して、アジア女性基金に対抗するために、償い金と同等額を慰安婦に払うことを決めました。この書類は、韓国政府が金を払うから償い金を受け取るなと、〈覚書〉として挺対協が元慰安婦に書かせたものです。日本政府の調査を妨害したときと同じように、再び札束で顔を引っぱたくような懐柔を挺対協は行ったのです。

 挺対協が妨害活動を続けたのは、全ては慰安婦問題を解決させないため、であると今は確信を持って言うことが出来ます。

 しかし後に、ハルモニたちのほうが一枚上手だったことが明らかになります――。

(つづく)
(インタビュー・赤石晋一郎)

<引用出典>勝山泰佑「海渡る恨」(韓国・汎友社、1995年)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。