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2020/06/15

慰安婦の実態を判断することの難しさ

 1995年7月に「女性のためのアジア平和国民基金(以下・アジア女性基金)」が発足します。基金には私たちの「日本の戦後責任をハッキリさせる会(通称・ハッキリ会)」からもスタッフを一人派遣しました。

 スタッフを派遣することには少なくない葛藤がありました。日本の識者や左翼運動家たちは軒並み、国民募金で償うという方法や、半官半民で問題に取組むアジア女性基金の方式は「国の責任を曖昧にする」と大反対していたのです。

 でも問題解決には政治力が必須ですし、オール・オア・ナッシングの考え方では物事は進みません。私たちはアジア女性基金に協力することで、少しでも解決の道筋をつけたいと考え参画を決意しました。

 また、慰安婦問題を法的に解決するということへの限界を感じていたことも事実です。

 私は50人あまりの元慰安婦の話を聞いて行くなかで、だんだん考えが変わっていきました。慰安婦の実態は資料で裏付けられるものが少なく、ほとんどが証言のみで判断しなければなりません。聞いて行くと、それぞれの経験には濃淡があることが判ってきます。根拠がある話をする人もいれば、ちょっと違うんじゃないかと感じる人もいる。

 慰安婦の真贋については、ハルモニたちのほうがより敏感でした。

「私は慰安所に8年もいて子供が産めない身体になった。それに比べると、あの女の証言は怪しい」

 という言葉を聞くことも少なくありませんでした。

 元慰安婦だった期間も、3か月と短い人もいれば7~8年と長い人もいるなど、人によってまちまちです。

臼杵敬子氏(中央)と元慰安婦(右)、遺族(臼杵敬子氏提供)

韓国政府の慰安婦認定はブラックボックス

 1992年から韓国政府は全国の自治体を窓口として慰安婦申告を募りました。プライバシーを守り、漏らした者には厳しい懲役刑を科すという条件下で申告作業を進めたのです。

 このとき関係者から聞いた話によると、元慰安婦として実際に手を上げた人の数がかなり少なかったことに、挺対協を始めとする関係者はショックを受けたというのです。識者の間では慰安婦は20万人規模でいたとも語られていましたから、その差に驚いたのです。その後、韓国内では「もう、全員慰安婦として認めよう」という雰囲気になったと聞きました。

 韓国政府が認定する慰安婦は、2015年には238名でした。現在、その数は増えて247名(挺対協がソウル市南山公園に建立した慰安婦の碑に刻まれた人数が247)いるとされています。

 私が元慰安婦の方々に聞いたところによると、彼女らが知っている慰安婦はせいぜい5、60人しかいない。それ以外は匿名性のベールの中に包まれ実態が見えないというのです。韓国政府がどのような過程を経て、彼女らを慰安婦として認定したのかが未だブラックボックスとなっているのです。

 日本軍が慰安所を使っていたのは事実ですが、女性達をどう連れてきたのかを証明することは難しい。前述したように人数などの根本的な基礎データにも不安がある。

 日韓の政治状況、慰安婦調査が明らかにされていない実態、様々な状況を考え、法的な解決ではなく人道的な解決が望ましいのではないかと私は考えるようになりました。