週刊文春の連載「この味」でお馴染みの人気エッセイスト・平松洋子さんが、新著『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』を上梓した。さまざまな肉の魅力のなかでもひときわ異彩を放ち、女性にも大人気なのがすっぽん。日本一の高名をとるすっぽんはどうやって生まれているのか、その秘密に迫った。
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「ちょっとエッチ臭い響きがつきまといます」
すっぽん事情を塗り替えたのは叶姉妹だったと記憶している。十数年前、美容効果を求めて夜な夜な六本木のすっぽん料理専門店に通っていますと公言すると、にわかに女子が色めき立った。あ、すっぽんと美容はおなじジャンルにしていいんだと私も思ったのだ。なにしろ、それまでずっと「食通」「接待」などの隠れ蓑をまとう「おじさん専用」がすっぽんだったから。
「ちょっとエッチ臭い響きがつきまといます」
働く女子、ウチヤマさん既婚・40歳が小声で言った。彼女も、叶姉妹につられてすっぽんを食べに行ったという。年末に会社の同僚4人と誘い合わせ、意を決しての大奮発だった。
「社会人になって、自分が働いたおカネで鮨も食べた、ふぐも食べてみた、ようし次はすっぽんだぞ、と。確か1人1万5000円でした。値段はべらぼうに高いし、同僚の女たちが示し合わせて高級な店の暖簾をくぐるときは、まるで討ち入りです。場違いな空気も大きかった。でも、店を出たときの達成感は、そりゃあもう。根拠もないのに、これで本当の1人前になった気がしました。美容効果ですか……うーん不明です。緊張していたのでしょう、味もはっきりとは覚えていません」
「年々すっぽんの需要が高まっている」
いずれすっぽんに再会したいと思いながら今日まできたけれど、10年間その機会が巡ってこなかった。ずっと気になっていたけれど、すっぽんという単語を口にするのをためらってきたという。
「男性の前で『すっぽんが食べたい』とは、ちょっと言いにくかった。理不尽だなとは思いましたが、なんとなく言い出せない感じが強かったことは事実です。でもまあ、本音を言えば惜しいことをしてきたと思っています、ええ」
その気持ち、よくわかる。すっぽんを世間に引きずり出してくれた叶姉妹(いまも食べているのだろうか)には感謝したいが、同じように値の張る鰻やふぐに較べると、いぜん「高嶺の花」であり続けているし、なんとなく扉の向こう側でなりを潜めている感じがつきまとう。奮発して家族で鰻を食べに行くという話は聞いても、子どもといっしょにすっぽんに舌鼓を打ったという話は聞かない。
しかし、すっぽん事情にも変化の兆しはある。築地市場場内(現在、豊洲市場)の川魚仲卸「丸吾商店」を訪ねると、長年すっぽんを扱ってきた勤続30余年の三ケ野良昭さんは「売り上げは“鰻、かき、すっぽん”の順番だが、年々すっぽんの需要が高まっている」と話す。