タイと言えば、医療ツーリズムの先進国。これは周知の事実だが、タイと日本を股にかけ、性別適合手術(いわゆる性転換手術)を仲介・斡旋する業者が存在する。共同通信の記者・伊藤元輝さんが上梓した『性転師』は、この特殊なアテンド業に迫った意欲的なルポルタージュだ。
「性同一性障害や性別適合手術について取材し始めたのは2018年ですが、元々強い関心があったわけではありません。知識量が少なく、単純に無知だったと思います。そんな僕がこのテーマに関心を引かれたのは、坂田洋介さんとの出会いがきっかけでした」
坂田氏は海外での美容整形を斡旋する「アクアビューティ」代表で、性転換ビジネスの先駆者だ。スキンヘッドに口髭という風貌で、自営業者特有の凄みがあり、どこか怪しい雰囲気が漂う人物だという(表紙の男性)。
「全く別件の取材でお会いした際に、雑談ついでに坂田さんの職業について質問したんです。すると性別適合手術の仲介業について熱心に説明され、すっかり引き込まれてしまった。その後、手術を受ける当事者や医療従事者の話を中心に新聞向けの連載記事を執筆しましたが、そこではアテンド業自体には軽く触れるに留めました。本書では、彼らが性別適合手術というデリケートな事象に関わらざるを得ない事情を探りながら、性同一性障害を持つ人々やトランスジェンダーを取り巻く環境を描きました。タイトルの『性転師』は、僕が考えた造語です。性別適合手術をめぐるグレーな状況を、その怪しげな響きに込めました」
伊藤さんはアクアビューティを含む「主要7社」と、“モグリ”と呼ばれる個人業者を取材。さらに日本の性転換の歴史を振り返り、その未来を展望する。
「坂田さんが初めて患者をタイに送り出したのは02年。一説によると最盛期には40社ほどが活動していたと聞きますが、ここには個人業者も含まれていると思われます。正直、全体を把握するのは難しい。
アテンド業はときに『金儲け主義』『必要悪』と批判されます。たしかに仲介料を得ているため、営利目的ではある。しかし、アテンド業がなかったら? とも考えさせられます。性別適合手術の間口を広げたという意味では、一定程度評価していいのではないか、と僕は思っています」
未だに海外で性別適合手術を受ける人が多数派だが、国内での手術件数も緩やかに増えている。また、日本では04年に戸籍上の性別変更が可能になり、18年に性別適合手術の保険適用が認められた。
「国内の環境が改善されるに伴い、性転師は役目を終えてゆくのだと思います。それを当人たちは、商売は別問題として、喜ばしいことだと言う。彼らは長年、多くの当事者の悩みを直接聞いてきたので、そういう心境になるのは自然なことだと感じました」
本書では、著者自身の心境の変遷も率直に綴られている。「ネタになりそう」という記者の性(さが)から取材を始めたが、徐々に意識が変化したという。
「記者という職業柄、正しく理解して差別しないというマインドは常に持っていますが、どんな人にも職業的意識と実際の心中には乖離がある。それを隠して、上から目線のお説教をしても、読者には何も届かないと思ったんです。僕自身、取材を通して知ることで、自分が変わっていく実感がありました。その感覚を再現して、読者に追体験してほしかった。それが本書をルポルタージュとして執筆した意図です」
いとうげんき/1989年生まれ。早稲田大学法学部卒業。大手証券会社に入社するが、2カ月で退職。充電期間を経て、2011年10月、記者として共同通信に入社。高松支局、大阪社会部を経て、現在は神戸支局に在籍。本書は初めての著作。