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2020/07/02

 この様にワシントンで華々しい外交攻勢をかけ、トランプ政権を北朝鮮との対話に導こうとする韓国政府を、ボルトンは苦々しい思いで眺めていた。しかし、その事は彼が文在寅やその政権の施策を支離滅裂で非合理なものだと見ていた事を意味しない。何故なら、ボルトンにおいては、各国が異なる国益を持ち、その国益を追求するのは国家として当然の事だと考えられているからである。彼は言う。「自分はトランプが(ボルトンが渡した)記事を読むとは思わなかった。しかし私は強調したかったのだ。韓国のアジェンダは常に我々と同じである訳ではない。だからこそ我々は自らの利益を守る必要があるのだ」。

 韓国には韓国の国益があり、「我々」つまりアメリカにはアメリカの異なる国益がある。ボルトンの理解では、文在寅は「国内の政治的事情」から北朝鮮との間の「統一」――ボルトンはわざわざこの語に「」をつけて記しているから、それが究極的な北朝鮮との統一ではなく、「太陽政策」(ボルトンはこの古い用語を使う)に代表される韓国国内向けの政治的アピールだと理解している事は明らかである――を訴える必要があり、それを実現することこそが彼らの国益なのである。だからこそ韓国は、アメリカを北朝鮮との対話に巻き込み、その首脳会談に文在寅自らが「写り込み」、自らの国民に「統一」政策の成功をアピールしようとするのである。

トランプ大統領 ©JMPA

 対して、アメリカにとって北朝鮮問題における国益は非核化の実現であるが、韓国はこの問題をさほど重要視していない。異なる国家である以上、韓国、或いは文在寅政権の目的が、アメリカのそれとは異なるのは当然の事であり、だからこそ猶更アメリカ政府は、彼の言う事を警戒し、これに踊らされてはいけない。そこには異なる国家が異なる国益を追い求めることを当然視し、それ故に他国の動きを警戒する、ボルトンの冷徹な視点が存在する。

日本の存在感はなぜ薄いのか?

 批判すべき対象として繰り返し登場する韓国に対して、ボルトンの回顧録における日本政府の存在感は――その登場回数に比して――極めて薄い。その理由は恐らく、この回顧録における日本政府の存在が、常にボルトンやトランプに近い意見を唱えるものとして描写されており、そこに日本独自の国益を実現しようとするダイナミックな動きを見る事ができないからであろう。

 そしてこの様な描写にこそ、本回顧録におけるリアリストとしてのボルトンの真骨頂を見る事ができる。つまり、国際政治は各国が自らの国益を追求せんとする、競争の場に他ならず、だからこそ時に様々な術策を弄してでも、各国がその実現にまい進する事は寧ろ当たり前のことなのだ。そしてそれ故に外交交渉においては相手の言動に惑わされず、自らの国益を直截に求めて行かなければならない。ボルトンはそうトランプに繰り返し忠告し、シンガポールでの米朝首脳会談実現に前のめりになりがちな彼の動きに警笛を鳴らすことになるのである。

 しかし、こうしたボルトンの抵抗は実らず、2018年、トランプと彼の政権は、北朝鮮による外交攻勢と、これを自らアイデアを出して積極的に支援する文在寅政権に押し切られる形で、ずるずるとシンガポールにおける初の米朝首脳会談へと導かれていく事になる。